(最初に言っときますが、決して自慢のためでなく、
これからの自分の対応を決めておくためと、 知らない人の役に立つために。)
おとといの北野駅で、 白い杖の人が、
柱につかえながら、改札に向かおうとしていた。
帰りがけのことで、急いでいたワケではないので、
「手をとりましょうか?」と声をかけてみた。
そしたら、とても明るいおじさんで、
「ありがとうございます。では、右ひじ貸してください。」
一瞬、右ひじ? と思ったが、
おじさんは自然に右ひじにつかまってくれたので、
そのまま改札に向かい、タクシー乗り場まで。
この細い右ひじがこんな時に役立つとは。。。
学びました。 目が不自由な人に必要なのは、右ひじ!
2008年8月28日木曜日
2008年8月27日水曜日
人と違うことは恥ずかしいか???
最近、大戸屋で食べている時に耳に入ってきた会話。
2人ともサラリーマンらしい男の人たちだった。
「うちの最寄り駅まで、みんなママチャリに乗ってて、
マウンテンバイクの人いないんだよ。
恥ずかしいな。。。」
「へぇ~」・・・・・
彼の持ち物では、マウンテンバイクという選択肢しかないらしい。
しかし、一体何が恥ずかしいんだ???
仮に、彼一人だけがマウンテンバイクに乗って駅まで通勤していたとして、
それは恥ずかしいことなのか?
とても勝手な感情だが、密かに腹の中で怒っていた。
日本人同士の会話の中に、
たまにこの手の話が出てくる。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と同時に、
「青信号、みんなが渡らなければ、自分も渡らない」という風潮。
自分の行動や選択に責任を持たないのは、あ~怖い。
2人ともサラリーマンらしい男の人たちだった。
「うちの最寄り駅まで、みんなママチャリに乗ってて、
マウンテンバイクの人いないんだよ。
恥ずかしいな。。。」
「へぇ~」・・・・・
彼の持ち物では、マウンテンバイクという選択肢しかないらしい。
しかし、一体何が恥ずかしいんだ???
仮に、彼一人だけがマウンテンバイクに乗って駅まで通勤していたとして、
それは恥ずかしいことなのか?
とても勝手な感情だが、密かに腹の中で怒っていた。
日本人同士の会話の中に、
たまにこの手の話が出てくる。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と同時に、
「青信号、みんなが渡らなければ、自分も渡らない」という風潮。
自分の行動や選択に責任を持たないのは、あ~怖い。
木造の建物は何年もつか?
2008年8月25日月曜日
信仰心のなせる業
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080825-00000010-jijp-int.view-000「信仰心がある」ってことは、物理的にというか、起こりうる結果として、
「絶対に落ちない」「絶対に倒れない」ということではない。
「絶対に成功する」ということでもない。
じゃあ違いは何か?
たとえ失敗に終わっても、周りにあたり散らしたり、仲間のせいにしない。
たとえ落ちて死んでしまっても、後悔しない。
もし成功したら、信じている対象や仲間に感謝して、
すべて自分の力!と独りよがりにならない。
ということではないか。
2008年8月20日水曜日
ENDING NOTE
ちょっと前にお客さんに教えてもらった。
「こんなのあるんだよ。知ってる?」
http://nalc.jp/Ending/endingTOP.htm
http://www.happy-endingnote.com/?ad=001&gclid=CMWo-_vomJUCFQntegodrDVBgw
知らなかった。。。。。
しかも、今の時代、きっと必要なものだろう。
いってみれば、遺言なのだが、
遺言となると、効力をもたせる為には法律を踏まえないといけない。
もっと簡単な形で、自分で伝えられなくなった場合に、代わりに遺族などに意思・考えを伝えてくれるノートと考えたらいい。
自分がこの世を去るときのことを、いつもいつも考えていたら、
ほぼ自殺志願者になってしまうだろうが、
ある時、ふと考えて、その時の状況と、自分としてはどうしてほしいのかをはっきりさせて、
形にしておくことは大切なんだと思う。
田舎などだと、昔からの決まり事やら近所への手前なんてものがあって、
葬式はこんな形で、などという自分の希望を入れることも、未だに難しいのかもしれない。
しかし、少なくても、家族やそのほかの大切な人に、
遺したい思いの幾らかはあるのではないか。
そんなお金をかけずとも、普通のノートに書いておくだけでも充分だろうが、
形から入った方が始めやすい人たちや、
とりあえず体裁が整っていた方が分かりやすいというのもある。
わたしも昨日注文したばかりだけど、
ちょっと遺しておこうかなと。
「こんなのあるんだよ。知ってる?」
http://nalc.jp/Ending/endingTOP.htm
http://www.happy-endingnote.com/?ad=001&gclid=CMWo-_vomJUCFQntegodrDVBgw
知らなかった。。。。。
しかも、今の時代、きっと必要なものだろう。
いってみれば、遺言なのだが、
遺言となると、効力をもたせる為には法律を踏まえないといけない。
もっと簡単な形で、自分で伝えられなくなった場合に、代わりに遺族などに意思・考えを伝えてくれるノートと考えたらいい。
自分がこの世を去るときのことを、いつもいつも考えていたら、
ほぼ自殺志願者になってしまうだろうが、
ある時、ふと考えて、その時の状況と、自分としてはどうしてほしいのかをはっきりさせて、
形にしておくことは大切なんだと思う。
田舎などだと、昔からの決まり事やら近所への手前なんてものがあって、
葬式はこんな形で、などという自分の希望を入れることも、未だに難しいのかもしれない。
しかし、少なくても、家族やそのほかの大切な人に、
遺したい思いの幾らかはあるのではないか。
そんなお金をかけずとも、普通のノートに書いておくだけでも充分だろうが、
形から入った方が始めやすい人たちや、
とりあえず体裁が整っていた方が分かりやすいというのもある。
わたしも昨日注文したばかりだけど、
ちょっと遺しておこうかなと。
2008年8月18日月曜日
2008年8月16日土曜日
権之丞とレジナ小雪の会話
この会話には、"物事の本質"、すなはち相反するものの中に在る本質があるんじゃないか。
pp.531-533 「おれは聖人ではない。神を信じてもおらぬ。・・・・・
おれは、見せかけだけの不敬なキリシタンだ」
「それでは・・・。権之丞さまは、いったい何を信じておられるのです」・・・・・
「おれは、ある男への意地のため、あえて偽りの殉教者になる道を選んだ・・・・・
この世に、おのれの思うとおりにならぬことはないと思い込んでいる倣岸不遜な男だ。おれはその男への反撥から、すべてを捨てたのだ。そして、独りになって見つけた」
「何をでございます」
「信じるものをだ・・・・・おれは神ではなく、おのれ自身を信じる。道は自分で切り拓いてゆかねばならない。神も仏も、人を助けてはくれぬ。おのれ以外のものに縋(すが)っていては、ついに何ごとも為し得ぬだろう」
かといって、彼は決して独りで生きているとは思っていないだろう。よい仲間に恵まれていて、それらの人たちへの感謝の気持ちはいつもあったんだろうと思う。
平泳ぎの北島さんが、1位をとった後のインタビューで「勝てて、感謝しています」と言っていた。
「神は弱き者の魂をお救いくださいます」
「余の者のことはわからぬ。だが、おれは、神を信じるだけでは救われない。闘って、闘って、闘い抜くしか、おのれをささえるすべがない」・・・・・
「権之丞さまは、お強い。それゆえ、お独りでも生きてゆけるのです。わたくしのような心弱い者は、とても独りきりでは・・・・・」
「だから神を信じるか」
「神は遠いところで、わたくしたちを見守っていて下さいます」・・・・・
「神がいるなら、なぜ、幕府に信仰を禁じられて行き場を失った者たちを救わぬ。城中のキリシタンたちは、なにゆえ現世(うつしよ)の聖人をもとめる。天国(パライソ)の幻に縋るだけで、いまを精一杯生き抜くことをあきらめているからではないのか」
神という存在を含め、何か自分以外のものを信じることは、弱いということではない。
自分がどこに立って、物事の善悪を判断するかをはっきりさせるということ。
信じることは、ただ待つということではない。
前を向いて進むこと。
できることをすべてやって、どうしても残るできない部分は他に任せるということ。
pp.531-533 「おれは聖人ではない。神を信じてもおらぬ。・・・・・
おれは、見せかけだけの不敬なキリシタンだ」
「それでは・・・。権之丞さまは、いったい何を信じておられるのです」・・・・・
「おれは、ある男への意地のため、あえて偽りの殉教者になる道を選んだ・・・・・
この世に、おのれの思うとおりにならぬことはないと思い込んでいる倣岸不遜な男だ。おれはその男への反撥から、すべてを捨てたのだ。そして、独りになって見つけた」
「何をでございます」
「信じるものをだ・・・・・おれは神ではなく、おのれ自身を信じる。道は自分で切り拓いてゆかねばならない。神も仏も、人を助けてはくれぬ。おのれ以外のものに縋(すが)っていては、ついに何ごとも為し得ぬだろう」
かといって、彼は決して独りで生きているとは思っていないだろう。よい仲間に恵まれていて、それらの人たちへの感謝の気持ちはいつもあったんだろうと思う。
平泳ぎの北島さんが、1位をとった後のインタビューで「勝てて、感謝しています」と言っていた。
「神は弱き者の魂をお救いくださいます」
「余の者のことはわからぬ。だが、おれは、神を信じるだけでは救われない。闘って、闘って、闘い抜くしか、おのれをささえるすべがない」・・・・・
「権之丞さまは、お強い。それゆえ、お独りでも生きてゆけるのです。わたくしのような心弱い者は、とても独りきりでは・・・・・」
「だから神を信じるか」
「神は遠いところで、わたくしたちを見守っていて下さいます」・・・・・
「神がいるなら、なぜ、幕府に信仰を禁じられて行き場を失った者たちを救わぬ。城中のキリシタンたちは、なにゆえ現世(うつしよ)の聖人をもとめる。天国(パライソ)の幻に縋るだけで、いまを精一杯生き抜くことをあきらめているからではないのか」
神という存在を含め、何か自分以外のものを信じることは、弱いということではない。
自分がどこに立って、物事の善悪を判断するかをはっきりさせるということ。
信じることは、ただ待つということではない。
前を向いて進むこと。
できることをすべてやって、どうしても残るできない部分は他に任せるということ。
2008年8月12日火曜日
火坂雅志『家康と権之丞』文春文庫
主題はもちろんちがうけど、
自分にとっては、"クリスチャン第二世代の話"だった。
(徳川家康が、実はクリスチャンだったというオチの、強引なフィクションでもない、もちろん)
自分自身そんなに信じているワケでは決してないけど、
母親を思い出すための場であり、心情である宗教・信心。
耶蘇教禁止令が出て、権之丞がクリスチャンの教えを捨てずに、
家督も名目もすべて投げ出して、逃亡生活している、今日はそこまで。
文庫本一冊で約600頁の長編です。
自分にとっては、"クリスチャン第二世代の話"だった。
(徳川家康が、実はクリスチャンだったというオチの、強引なフィクションでもない、もちろん)
自分自身そんなに信じているワケでは決してないけど、
母親を思い出すための場であり、心情である宗教・信心。
耶蘇教禁止令が出て、権之丞がクリスチャンの教えを捨てずに、
家督も名目もすべて投げ出して、逃亡生活している、今日はそこまで。
文庫本一冊で約600頁の長編です。
2008年8月11日月曜日
"衰世感" -陳舜臣『阿片戦争』(上)講談社文庫
p.383
かりに『衰世感』と名づけよう。
当時の中国の知識人で、多かれすくなかれ、この衰世感をもたぬ者はいなかったであろう。
いたるところでにおう阿片のにおい、亡者のようにふらふらとあるく阿片中毒患者。農村からはじき出されて、街にあふれた貧民、そして乞食の群れ。-こんな情景に接して、世の衰えを感じない者がいるだろうか。
衰世感は社会的な雰囲気や事実としてものもあるだろうが、
これを感じて、沈んでしまって何もしないか、そうならないかは、
やはり個人の気持ちのことで、選ぶことができる。
それでも何かできるだろう、せっかくこの時代に生まれてきたんだから。
といつも思っていたい。
むしろ、こういう世の中だからこそ、
這い上がれる好機が転がっているかもしれない。
でも、この『阿片戦争』は、1冊500頁がまだ2冊続く。
んんん、衰世感。。。。。
かりに『衰世感』と名づけよう。
当時の中国の知識人で、多かれすくなかれ、この衰世感をもたぬ者はいなかったであろう。
いたるところでにおう阿片のにおい、亡者のようにふらふらとあるく阿片中毒患者。農村からはじき出されて、街にあふれた貧民、そして乞食の群れ。-こんな情景に接して、世の衰えを感じない者がいるだろうか。
衰世感は社会的な雰囲気や事実としてものもあるだろうが、
これを感じて、沈んでしまって何もしないか、そうならないかは、
やはり個人の気持ちのことで、選ぶことができる。
それでも何かできるだろう、せっかくこの時代に生まれてきたんだから。
といつも思っていたい。
むしろ、こういう世の中だからこそ、
這い上がれる好機が転がっているかもしれない。
でも、この『阿片戦争』は、1冊500頁がまだ2冊続く。
んんん、衰世感。。。。。
2008年8月7日木曜日
広瀬隆 『持丸長者』 ダイヤモンド社
世の中は、経済・金融、そして政治は、金持ちが動かしている。
これは事実。
『赤い盾』で、いやってくらい教えてもらった。
この視点は、世の中渡る上でとりあえず持っておかないと。
でも、正直、この本はいろいろ詰め込みすぎて、
何が言いたいのかわからなくなっているところも。。。
これは事実。
『赤い盾』で、いやってくらい教えてもらった。
この視点は、世の中渡る上でとりあえず持っておかないと。
でも、正直、この本はいろいろ詰め込みすぎて、
何が言いたいのかわからなくなっているところも。。。
2008年8月4日月曜日
ソルジェーニツィンが亡くなった
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080804AT2M0400B04082008.html
無知なことに、彼が今まで存命の人と知らなかった。
彼について知っていることといえば、
古本屋で見つけた、タイトルも忘れてしまった、
とても薄い、相当茶色くなった岩波文庫の1冊だけ。
でも、あの本の衝撃は、しっかりと残っている。
社会主義やら、強制収用所なんていう状況の中でも、
人間てしっかり考えを持って生きれるんだと。
むしろ、どんな状況でも、人の心の在り様は、
いろんな外からの影響は受けながらも、
最終的には、本人が決めるものなんだということ。
無知なことに、彼が今まで存命の人と知らなかった。
彼について知っていることといえば、
古本屋で見つけた、タイトルも忘れてしまった、
とても薄い、相当茶色くなった岩波文庫の1冊だけ。
でも、あの本の衝撃は、しっかりと残っている。
社会主義やら、強制収用所なんていう状況の中でも、
人間てしっかり考えを持って生きれるんだと。
むしろ、どんな状況でも、人の心の在り様は、
いろんな外からの影響は受けながらも、
最終的には、本人が決めるものなんだということ。

