2014年4月26日土曜日

「日の出る所から没する所まで」

旧約聖書のいちばん最後の書はマラキ書。
その第1章11節にタイトルのように書かれていた。

ちなみに英語(kj, 欽定訳)では
"from the arising of the sun even unto the going down of the same "

そこで気になったのは、日本語の古文訳。
どなたか殊勝な方がPDFでネット上に張り付けてくれている。
日の出(いづ)る處(ところ)より沒(い)る處までの列國(くにぐに)の中(うち)」

やっぱり!
何が気になってこんなことをつらつらと調べていたか。
おそらく日本の義務教育を受けた方々ならピンとくるだろう。
そう、『隋書 倭国伝』に残る、聖徳太子が隋の皇帝に当てた手紙の一文。
ちなみに以下、ヤフー知恵袋から。

大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不悅、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」

大業三年(607年)、その王の多利思比孤が遣使を以て朝貢。使者が曰く「海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞き、故に遣わして朝拝させ、兼ねて沙門数十人を仏法の修学に来させた」。その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。

はたして、聖書の古文訳を試みた人の頭の中に、この聖徳太子の文章がぽっと浮かんだだろうか?
すごーく議論は飛躍するが。
旧約聖書の中身が書き終えられたのを紀元前1世紀として、
聖徳太子がこの手紙を書いたのが紀元7世紀。
彼はマラキ書の断片でも読んでいたりして。。。
こういうのを妄想というのだろう。

2014年4月25日金曜日

目をそらすクセを直す

人と目が合う。1日のうちでも何度となく。
でも、すぐにそらしてしまうことは気づいていた。

自分に自信がないことから来ることも薄々気づいている。

それはやっぱり「悪いクセ」の1つなんだ。


3秒、少なくても2秒、目が合った時に、そらさず、見る。
見つめすぎたら、不審者になってしまうか、敵対する感じになりそうだが、
そんな風に改めるだけで、
視線が泳ぐ印象をなくし、「信頼感3割アップ!」だそうだ。


この本を読んだのは、おとといの寝る前。
こうしようと思いついたのは、仕事終わり、ビルを出るところだった。
今日から実践!


2014年4月19日土曜日

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2014年4月18日金曜日

この美しい声でうんこ


直太朗さんの声って、
すっと人を飲み込むというか。

この声でうんこだからね、
そりゃすごいわ。

ちなみに最近聞いた直太朗さんのアルバム。
こちらも異次元といえるくらいの世界観。

2014年4月16日水曜日

たまに見てしまうTV番組に「ガイアの夜明け」がある。
昨夜は高齢化社会におけるビジネスの紹介だった。

枯れてたまるか! ~老後の生き方...新常識とは~

気に留まったこと。
●「今まで懸命に生きてきたんだから、老後は楽したい」と考えている、
高齢者や、さらには将来の高齢者はどれくらいいるのか?
単なるカルチャー教室や豪華な食事だけのサービスでは、
飽きられてしまう、社会とのつながり、貢献できているという実感が必要、
スマートコミュニティ稲毛の社長が言っていた。

●高齢者とはいえ、実社会に生きていることは間違いないのだから、
バリアフリーを社会的に推し進めるのは一方で必要として、
他方では、大変なつらい場面は生きていれば必ず存在するんだから、
そういった困難に直面した時に、立ち向かっていける強さを、
訓練の段階では少なくとも経験させる方がよい、
という夢のみずうみ村
の代表の意見に賛成。

2014年4月12日土曜日

a place in the sun ~ 陽のあたる場所



昨日の「大切な場所」からの場所つながりで。

このStevie Wonder、若い!そしてやせている!

この曲、実は初めて知ったのは、浜田省吾がカバーしていたのを聞いたのがきっかけだった。
そして、とても衝撃を受けた。
人それぞれ、日向ぼっこをしているように、あたたかくて、居心地のよい場所があるだろうけど、
特に社会全体から差別を受けているような、そういう厳しい状況に身を置かざるを得ない人たちにとって、現実の日常にはどうしたって「陽のあたる場所」を見つけることはできない。
そんな悲哀と、そんな中でも、よい場所はあるんだと前向きに生きる強さを感じられた曲だった。

それから、最近ちゃんと聞いた「陽のあたる場所」

取り立てるのも恥ずかしいくらい有名な曲ですが。

やっぱりいつも前向きに生きなきゃいかんな。
小さい後ろ向きなことに囚われていたらいかんな、と思わせてくれます。




2014年4月11日金曜日

大切な場所

"...instead of laying up foryourselves btreasures in heaven, where nothing doth corrupt, andwhere nothing can come which is unclean, ... "

とても抽象的な言い方だが、いちばん大切なところに入ってきてほしくないものはある。
それぞれに良し悪しの基準があって、「悪」の部類のものには入ってくることを拒む。
「なんでもいいよ」「来るものを拒まず」という柔軟な姿勢はもちろん大切だが、
本当に大切にしている場所には、時に厳格に基準を当てはめて、
断固として大事に守らなければならない。

ただ、一方でその「大切な場所」は自分にとってとても居心地のよい場所で、
そこにずっといたいと思っていても、とどまっているばかりではいけないこともたくさんある。
とどまることが許されないこともある。

「大切な場所」で感じた気持ちや得たものをしっかりと手にして、
一歩を外に踏み出し、行うべきこと・期待されていること・義務を果たすことも、
この世に生きている者に課せられている。

上の引用に当てはめれば、「清いところ」はしっかりと守り、そこに「宝を蓄え」つつ、
「清くない」ところに自ら出向いて、そこですべきことを行う姿勢や努力。

2014年4月5日土曜日

うたと三線だけ






正直、よく耳にする曲ばかりだし、ひねりもなし、独創性もなし。


でも!1本だけの、和音もつけない声と、三線だけでここまで雰囲気が創れて、
聞かせられるというのは、逆にすごいこと。



調べてみたら、ネーネーズの一人でした。
たしか上々颱風と一緒にやっていたのを聞いたことがあったかな。

のんびりしたい時にはもってこい。
瞬時に沖縄の集落の路地に連れて行ってくれる感じです。
(個人的に沖縄に行ったことないけどね。。。)








↓上々颱風つながりで。ちょっと見かけた、ジャケ買いしそうなアルバム。。。


2014年4月3日木曜日

"be tested to limit"; 極限まで試される

Our Heavenly Father, who gives us so much to delight in, also knows that we learn and grow and become stronger as we face and survive the trials through which we must pass. We know that there are times when we will experience heartbreaking sorrow, when we will grieve, and when we may be tested to our limits.
天の御父は,わたしたちに喜びをもたらす多くのものをお与えになりますが,それと同時に,わたしたちが経験しなければならない試しに立ち向かい,それを乗り越えるときに,学び,成長し,強くなることも御存じです。わたしたちは,つらい悲しみを経験したり,胸を痛めたり,極限まで試されることがあるのを知っています。

(Thomas S. Monson)

「極限まで試された」後でどれくらい成長できるのか、
どんな景色が見えるのか。

果たして極限まで試されるってどこまで行くことか。。。

ついにルイボス量産?

http://www.itoen.co.jp/rooibos/

この紅茶のような味で、
でもカフェインフリー。
いい飲み物です。



今日の一曲 ~Aiko 桜の時~



今の季節の花さくらと、雨、そして花冷えの感じが、
うまいこと曲の中に盛り込まれているなと思い。

2014年4月1日火曜日

100万人の大虐殺

Check out this great Podcast: http://www.tbsradio.jp/tama954/index.xml

100万人都市が人っ子一人いなくなるような事態。
インドネシアで、スカルノ大統領が巻き込まれ、失脚せざるを得なくなった、その契機だったそうだ。

古代では、確か宮城野さんの本の中で、漢の建国前の争いで、同じ100万人が一気に命を失った記事があったような。


さらにまずいのは、そんな虐殺の果てにできあがった政権が現在も存続し、日本やアメリカを含む各国が支持し、援助している。さらにさらに、ジャーナリズムやマスコミもほとんど取り上げない。くだらない芸能記事と差し替える始末。

このpodcastの中で、町山氏が何度も叫んでいる。
「苦しんでいる人がいるのに、全てのマスコミは無視して、全く取り上げない!!!」


奴隷の状態って?

奴隷になるのがどんな状態か考えたことはあるだろうか?

もちろん、今を生きる日本人はまずないだろう。
世界中の多くの人だってほとんど同じだろう。
奴隷を生み出す社会的なしくみを、
多くの国が否定し、なくしてきた背景があるから。
ただ、歴史に目を向ければ、ほとんどあらゆる時代に、
あらゆる国・地域に奴隷が存在する。

さらには、今生きている状況でも、ひょっとしたら知らず知らずに、
何かもしくはだれかの「奴隷」になっているかもしれない。

そんなことを言ったって、ぴんとこない。

なので「奴隷」になるのがどんな状態かを知っていれば、
自分がその状態になりそうになった時に、
「あっ今危ないかも」と気付くことができるのはないか。

世の中の最大のベストセラー『聖書』を、
それを含む「聖文」と呼ぶものを毎日コツコツ読む理由の1つ。
すなはち、「奴隷」になりそうな兆しに気付いて、
自分と大切な人を守ること。


前置きが長くなったけど、今日の聖書からの一言。

「われわれは首にかけられて追い使われ、

疲れても休むことができない。」(旧約聖書 哀歌4:5)


一般の歴史でも普通に出てくる、ユダヤ人のバビロン捕囚の時に生きていた、
エレミヤという預言者が自分の仲間の状況を嘆いているのが「哀歌」。
1つの国の人まるごと奴隷になった状況下だ。

「疲れても休むことができない。」
いろいろなことでこんな状況になりかけていたら、
「奴隷」になりかけているかもしれない。
まずその兆しに気付くことが大事だろう。

とりあえずここまで。