2010年12月29日水曜日

変革の時でも停滞させてはいけない

政権交代の影響が一つ。
官庁・自治体からの、いはゆる公共事業は見直し・縮小・削減の動き。資金源はもちろん税金や郵貯・年金なんか国民の資産なんだから、ムダ使いなんてもっての他、必要性を見極めて、賢く計画してもらわないといけない。
他面では、その公共事業を仕事にしているのも国民。発注して働かせて完成しても、代金が支払われなければ、商売は立ち行かなくなる。干上がってしまう。仕事があって、上手く回っていくだろうと思っていたのに、倒産しなければならない。変革の時であるのは確かだろうが、これまでの流れがやり残しだってあるだろう。関わってる人達だっている。そこを完全に停滞させてはいけない。落ち度のない人を不幸にする。

2010年12月28日火曜日

「心理的な孤独」


この写真、かなり衝撃的。

「年末年始恐怖症」強烈な孤独感から自殺する人も (夕刊フジ)
 Nさん(30)は年末年始が怖い。毎年、強烈な孤独感にさいなまれる。周囲が帰省だ初詣でだと浮かれる中、彼のように孤独に耐える人は意外に多い。耐えきれずに自殺する人も少なからずいるという。

 独身で恋人もいない。彼が子供の頃に両親は離婚し、それぞれ再婚していることもあって、どちらの実家にも帰りづらい。結果としてNさんは、毎年正月休みになると、自宅のワンルームマンションで過ごすことになる。

 普段は仲のいい友人や同僚も、この時期は彼の相手などしてくれない。正月休みの1週間、彼は完全な孤独状態だ。

 ・・・・・

 横浜相原病院院長で精神科医の吉田勝明医師が解説する。

 「実際問題として、年末年始にNさんのような状況から自殺に走る人は多い。原因として強い孤独感があるのは事実だが、その背景には新しい年への“気持ちのリセット”がうまくできないという問題がある」

 特に日本の正月には他の月初めと異なり、身の回りのあらゆることをリセットするという意味合いがある。Nさんのような人は、これがうまくできないのだ。

・・・・・

  「普段は会社のために頑張っているんだから、年末年始くらいは自分のために自由に過ごせばいい。今しなければならない仕事はないんだから、こんな時こそ自由に時間を使ってほしい」と吉田医師。

 1週間後には嫌でも会社が始まる。そこにはストレスも待っている。それまでのほんのひととき、心安らかに、自分のために過ごしましょう。よいお年を-。(長田昭二)[ 2010年12月28日17時00分 ]



こういう記事を読むと、「人が一人でいるのはよくない」という旧約聖書の言葉を思い出す。

結婚する、家族を持つ、友達を作る、こういうことをするのは、
つまるところ、人は1人では生きられない、だから孤独を感じないため。

ただ孤独を感じないために、何も考えず、何も行動せず、ただ待っているだけでは、叶えられない。
努力やら工夫やら問題解決やら、そういうものが必要になる。しかも間断なく。
そこを見落とすと、人といつも一緒なのに孤独を感じるようになってしまう。

だめだ、否定的な方からしか考えられてない。私にもリセットが必要。。。


2010年12月27日月曜日


わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)

ヴェネツィアの次はフィレンツェ。
塩野七生の世界にどっぷりだね。


 現代イタリアに、イタリア古文の現代語訳というものは存在しない。ために、私も、日本人から、五百年も昔の史料を読むのは大変でしょう、と感心されるたびに、なんとも複雑な気分にさせられる。大変なのは、中世風に変型したラテン語や、現代イタリア語とは相当にちがうヴェネツィア方言の場合で、フィレンツェに関するかぎり、大変だなどと言ったら、イタリアの小学生に笑われるからである。
 現代イタリアの標準語は、フィレンツェやシエナを中心とするトスカーナ地方の、言ってみれば方言が、主体となってできている。ところが、このトスカーナ方言たるや、ダンテやボッカッチョやロレンツォやマキャヴェッリのおかげで、あの時代にすでに完成してしまっていて、それが今日まで引きつがれてきたというにすぎない。もちろん古めかしい言いまわしというものは、相当にある。だが、それも、「注」をつければ解決する程度のものである。つまり、日本人が思い浮かべるたぐいの古文ではない。(155~156頁)



「日本語が乱れている」なんてのは言い古されて久しい。
上に引用したイタリア語の状況を見ると、単なる言い訳・負け惜しみにしか思えない。

だれでもなれるワケではない"言葉の達人"・名作家を育て、
彼らが残した作品を大切にして、ちゃんと伝えていけるか。
他方では、言葉は人が作り使っていくものだから変わっていくもの。
この辺の間を取って、うまくやっていけば、嘆くような事態はないはず。

しかし、塩野さんはイタリアを愛しながら、
日本と日本語をとても大切に思っている、使命感を持っているなと。

2010年12月26日日曜日

クリスマスの気持ちを忘れないために


オラトリオ≪天地創造≫


こういうのを聞きたくたくなる、というか、
聞かないといられない、というか。

一度聖歌隊でこの中の曲をやったときに、
すごい燃えたんだよね。

今年の聖歌隊では、同じHaydn作曲の「もろびとこぞりて」を歌いこんだし。

やっぱりこの人の曲は、気持ちに火をつけてくれるというか、
情熱を持たせてくれる。
楽曲の中の信仰に基づいた思いが純粋なのかな。霊感を受けて作っているのかな。

ふつうに寒い冬



クリスマスが今年も終わりました。
今日12月26日は、"クリスマスから最も遠い日”とはよくいったもので。

飾り付けなんかの外見はほとんど何もしなかったけど、
動きとしては家族でそこそこできたを早めに立てたり、
見た目からもできたらいいな。

で、最近の感覚としては、"ふつうに寒い冬"。
今日は最高気温10℃、最低気温2℃だったかな。
東京ってさがっただろうと思ってもマイナスの壁を突破しない。なかなか。
北海道だったら、簡単なのにね。


さぁ今年の締めくくり、あと5日。
仕事も、年賀状などもやりきって、2011年を迎えましょー。

2010年12月22日水曜日

ベンチのデザイン

ここ2日くらい、小春日和と言っていいのか、風も冷たくない。ニットベストを着ていると、汗ばむ感じ。
府中公園を昼通りかかった。前から見かけてたし、気になってたけど、光の入りがいいかなと思って、撮ってみた。
はっきりいって、腰掛けようとしてる人には邪魔でしかない。でも公園の風景の中で、なかなかくつろぐベンチかなと。

こういう政治家いいと思いませんか?


 わたし​は​あなたがた​と​同(おな)じ​で、心身(しんしん)​ともに​あらゆる​弱(よわ)さ​を​持(も)って​いる。それでも​わたし​は、この​民(たみ)​を​治(おさ)める​統治​者(とうちしゃ)​と​なり​王(おう)​と​なる​よう​に、この​民(たみ)​に​選(えら)ばれ、父(ちち)​に​よって​任(にん)じられ、主(しゅ)​の​御​手(みて)​に​よって​認(みと)められた。そして、主(しゅ)​から​授(さず)かった​勢力(せいりょく)​と​思(おも)い​と​力(ちから)​を​尽(つ)くして​あなたがた​の​ため​に​努(つと)める​よう​に、主(しゅ)​の​たぐい​ない​力(ちから)​に​よって​守(まも)られて​きた​の​で​ある。
あなたがた​に​言(い)う​が、わたし​は​現在(げんざい)​まで、生涯(しょうがい)​を​あなたがた​の​ため​の​務(つと)め​に​費(つい)やす​こと​を​許(ゆる)されて​きた。しかし、​金(きん)​も​銀(ぎん)​も、その​ほか​どんな​富(とみ)​も​あなたがた​に​求(もと)めた​こと​は​ない。
わたし​は​あなたがた​を​地下​牢(ちかろう)​に​閉(と)じ込(こ)める​こと​も、あなたがた​が​互(たが)い​を​奴隷(どれい)​に​する​こと​も、殺(ころ)す​こと​も、略奪(りゃくだつ)​する​こと​も、盗(ぬす)む​こと​も、姦淫(かんいん)​を​犯(おか)す​こと​も​許(ゆる)した​こと​は​ない。また、あなたがた​が​どの​よう​な​悪(あく)​を​行(おこな)う​こと​も​許(ゆる)した​こと​は​なく、主(しゅ)​から​命(めい)じられた​すべて​の​こと​に​ついて、主(しゅ)​の​戒(いまし)め​を​守(まも)る​よう​に​あなたがた​に​教(おし)えて​きた。
そして、わたし​自身(じしん)​で​さえ、自分(じぶん)​の​手(て)​を​使(つか)って働(はたら)いて​きた。それ​は、わたし​が​あなたがた​の​ため​に​務(つと)める​こと​が​できる​よう​に、また​あなたがた​が​税(ぜい)​に​苦(くる)しむ​こと​なく、それに、堪(た)え難(がた)い​こと​を​何(なに)一(ひと)つ​身(み)​に​受(う)けなくて​も​よい​よう​に​する​ため​で​あった。わたし​が​これまで​語(かた)った​これら​すべて​の​こと​に​ついて​は、今日(きょう)​あなたがた​自身(じしん)​が​その​証人(しょうにん)​で​ある。
(『モルモン書』モーサヤ書 第二章11~14節)


こういう人を政治家・統治者に持てたらなんてすばらしいことだろう。
人間の社会から問題がなくなることはないだろう。
でも、起こったことに対処することはできるし、先を見越した事前の策を打っておくことだってできる。

2010年12月20日月曜日

難民支援の現場から


緒方貞子 ―難民支援の現場から (集英社新書)

明石さんの本にくっついていた広告で、気になった本。

国際問題、特に難民支援に関しての部分ももちろん説得力があったけど、
家族・文化について発言に気が留まった。


「女性はやっぱり価値の伝承者ですからね。もちろん男性ももっとしなきゃいけないと思うんですけれども、家庭を通して価値を伝えていくというのは非常に大きな女性の役割だと思います。家庭の中心に女性がいるということは、社会のコミュニティの中心に女性がいるということになるわけですから。それに、同じ出資をするにしても女性に出すほうが社会に与える効果が高いし確実なのです。たとえば食糧を例に挙げますと、女性は自分が多少食べなくても子供にあげたりしまるからね。」(115~116頁)


こういう見方で人や社会を支援するのって、素晴らしいこと。
ただモノを与えて与えて、一定期間経ったら「こんなものでしょう。はい終わり。」というやり方にはならないだろう。
魚を欲しがっている人に、魚をあげるのではなく、釣竿をあげて、釣り方を教える、ようなやり方にきっとなるだろう。

2010年12月17日金曜日

あの鍋屋横丁に!

落語「堀ノ内」に出てくる鍋屋横丁に、ついに行ってきた!
江戸時代当時に思いを馳せる材料は、ほとんどゼロ。標識として立っていた石柱も、その道の目的地である妙法寺に移されてしまったようで。
でも、粗忽さを信心で治そうとした、あのおやじさんは神田からこの道を通ったのか…と感慨深い。

2010年12月16日木曜日

いい意味での商売気




こういうことを考えて、きっちりプレゼンできる医者がもっと必要なんだよね。

医療費がかかりすぎて、増加が止まらない、
自己負担を増やさないと、増税しないと。
こんなんばっかりじゃ先に進まない、落ちていくだけ。

実際はお金の使い方の問題なんだろう。
税金をどういう優先順位と配分で使うか。
国や自治体でどっちの方向に行くか。

医療の分野だけじゃなくて、
役人も、もちろん会社員も経営者も、投資家も。

どちらにしても、儲けの大きい人、収入の多い人が、
もっともっと世の中によい影響力を及ぼしていってもらわないと。

思考・発想・発言、そして実際の行動。
そういうものの1つひとつが、閉塞感や停滞感を突き抜けて、
次のビジネスにつながっていく。

だめだ、ぜんぜん具体的・実証的じゃない。失礼。

2010年12月14日火曜日

初めてのクリスマスプレゼント

電車内広告によると、クリスマスに男女間プレゼントの平均お値段、22222円だそうで。
男女間とは、父娘間ではもちろんなく、ごく家庭的な夫婦間でもないだろう。
さて、クリスマスプレゼントのさきがけ、つまり、この世に生まれたイエス キリストに贈られた最初のプレゼントは、東方から星に導かれてきた三人の博士(IN ENGLISH, "THREE WISE MEN"OR"THREE KINGS")
彼らが贈ったものは、新約聖書 マタイによる福音書1章によると「黄金・没薬(モツヤク)・乳香(ニュウコウ)など」。黄金はわかるとして、あとの二つは貴重な薬草だそうだ。
では、「など」とは?他にはなんだったのか?気になる…。

2010年12月10日金曜日

やっぱり"第九"を歌いたくなる




年末で仕事がバタバタの中、やるべきことを詰めるだけ詰めて、
同僚やお客さんの協力ももらいながら、
今日はうちの子の幼稚園の行事のために有給を取らせてもらって、
クリスマス音楽会へ。

うちの子の出番は御多分に漏れずビデオ撮影に集中。。。
そんな中でも、歌の途中で手振りを入れたりする見せ方の工夫に関心したり、
なかなかいい選曲だなと勉強になったり。

で、毎年恒例らしい年長さんとその親御さんの合唱、
「歓喜の歌」、いわずもがなベートーベン 交響曲第9番 合唱付き 第4楽章からの抜粋。


こういうの聞くと音楽やりたくなる。
今の主戦場は教会の聖歌隊なので、
うちでもあれできないかな。。。
市民合唱団に参加してしまおうか。。。などと思いは広がるばかり。
帰りに目についた「西本智実さんと歌う第九」のチラシを物色。

いや、今は来週に迫ってる教会のクリスマス行事に集中、集中。

2010年12月8日水曜日

開基の功より、守成の勇


天空の舟 下


珍しい読み方をした。
上・下をまとめて買って、「こっちが最初か」と思って読み始めたのが、実は下の方だった。
こういうものかと思って何の違和感もなく、最後まで気づかずに読んでいた。
感覚が鈍ってる?おかしくなってる?

とにかく、中国古代史をここまで日本人に読みやすくつづってくる宮城谷さんへの感謝は絶えない。

傍若無人によって衰えていく前王朝。
それを覆して世の中を立て直そうとする、もう一つの王朝。
極初期に前王朝の滅亡を招いた最後の王に似た王が4代目に現れてしまい、
半ばクーデターによって、その4代目を更生させてしまい、
新王朝は軌道に乗っていく。。。

企業の創業者や名人と呼ばれるような職人には、
少なからずいわゆるカリスマ、
つまり凡人に非ざる魅力や統率力・技術が備わってる。
しかし同じような人になろうとすることも、
引き継ごうとすることも、ほとんど不可能なのが現実。

そういうすごい人たちが立ち上げた組織の跡取りとなる場合、
大きくすることは愚か、維持することの大変なことといったらない。


ということで、私は「上」に戻って読み始めます。

自意識過剰が生むエキストラ

午前9時半、地下鉄 新橋駅。
前も後ろも通勤の人、人、人。
次から次へと人が現れ、去っていく。絶えることなく、途切れることなく。その人たちの顔をふとのぞいてみる。
もしかしたら、よく似た顔が幾つかあるんじゃないかと思って。
さっき通り過ぎた人が、どこかで引き返して、また同じ流れに入っているんじゃないかと思って。
まるで、ドラマのエキストラのように何度も循環してように。自分もその中の一人。
自分もだれかのエキストラ…。


2010年12月7日火曜日

暗闇に虹

事務所からの帰り道、さるビルの照明がなんと虹色に。
もちろん、何を狙っているかは不明…。
ケータイだとこれが限度。肉眼ではケッコウ鮮やかなので、カメラの得意な人はきれいに収めてみてはいかがかな?
汐留のトッパンビル(?)です。

2010年12月6日月曜日

多い少ないの問題じゃない

http://news.mobile.yahoo.co.jp/news/view/20101205-00000525-sanspo-socc.html?ySiD=uFP8TMgvqg54.0xfREa9&guid=ON
↑PCでは見れないかも。失礼。はっきりしらなかったけど、こういう年間優秀なんたらは、同業者同士で投票して評価し合うなら、公正だし、選ばれた人は「今年もがんばったな」とうれしいはず。この記事のコメント見る限り、「このチームから何人も選ばれるのはおかしい」風な人がいつも多いけど、一言で言えば、大きなお世話だろう。まー感情から出た言葉だけだろうし、騒ぎたいだけなんでしょ?一人だけ「監督・選手間で選ばれるんだから…」と言っていて、社会の良心といえる方でした。



2010年12月2日木曜日

“吹奏楽の甲子園”

仕事中通り掛かった普門館。今にしてまさに仏教っぽい名前だけど、中学・高校で耳にした時は思いも寄らなかった。佼成会の広大な施設群の1つの建物でした。
吹奏楽の世界では、全国大会の会場で、言ってみれば甲子園。自分にとっては雲の上の、見えないところだった。
佼成会のバンドって、規模がそれほど大きくなく(20数名?)、でもうまいんだよね。音源でしか知らないけど。それにしても、きれいな円形で、でかい建物でした。

2010年12月1日水曜日

意味ある死、意味ある人生

『「独裁者」との交渉術』111~112頁より

「(カンボジアPKOの日本人ボランティア)中田厚仁君も亡くなりました。それにつけても中田君のお父さん・・・・・の態度は立派で、今でも語り種(ぐさ)なのです。妹さんも一緒に来られたのですけれども、本当に、お父さんが泣き伏すのではないかと思っていたら、ニコニコ笑って自分の息子は立派な死を遂げ、平和のために大きな役割を果たしてくれたと。自分はその足跡に従って生きたい、と言ってくれたのです。」

こんな風に生きて、最後を迎えられたらいい。
もちろん、与えられている命と生きている時間は貴いもの。
たとえ自分の命とはいえ、勝手に自分の手で終わらせてしまっては決していけない。

でも、生きていることだけに執着するのは、やっぱり違う。
必ず終わりがくるから。

だから、どんな風に生きたか、その時間を何の為にどんな風に使ったかで、
「いい人生だった」と言えるか、
「まだ死にたくない」とごねるかに別れる。

「見よ、現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに、現世の生涯は、人が各自の務めを果たす時期である。」(『モルモン書』アルマ書34章32節)