旧約聖書のいちばん最後の書はマラキ書。
その第1章11節にタイトルのように書かれていた。
ちなみに英語(kj, 欽定訳)では
"from thea rising of the sun even unto the going down of the same "
そこで気になったのは、日本語の古文訳。
どなたか殊勝な方がPDFでネット上に張り付けてくれている。
「日の出(いづ)る處(ところ)より沒(い)る處までの列國(くにぐに)の中(うち)」
やっぱり!
何が気になってこんなことをつらつらと調べていたか。
おそらく日本の義務教育を受けた方々ならピンとくるだろう。
そう、『隋書 倭国伝』に残る、聖徳太子が隋の皇帝に当てた手紙の一文。
ちなみに以下、ヤフー知恵袋から。
大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不悅、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」
大業三年(607年)、その王の多利思比孤が遣使を以て朝貢。使者が曰く「海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞き、故に遣わして朝拝させ、兼ねて沙門数十人を仏法の修学に来させた」。その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。
はたして、聖書の古文訳を試みた人の頭の中に、この聖徳太子の文章がぽっと浮かんだだろうか?
すごーく議論は飛躍するが。
旧約聖書の中身が書き終えられたのを紀元前1世紀として、
聖徳太子がこの手紙を書いたのが紀元7世紀。
彼はマラキ書の断片でも読んでいたりして。。。
こういうのを妄想というのだろう。
その第1章11節にタイトルのように書かれていた。
ちなみに英語(kj, 欽定訳)では
"from the
そこで気になったのは、日本語の古文訳。
どなたか殊勝な方がPDFでネット上に張り付けてくれている。
「日の出(いづ)る處(ところ)より沒(い)る處までの列國(くにぐに)の中(うち)」
やっぱり!
何が気になってこんなことをつらつらと調べていたか。
おそらく日本の義務教育を受けた方々ならピンとくるだろう。
そう、『隋書 倭国伝』に残る、聖徳太子が隋の皇帝に当てた手紙の一文。
ちなみに以下、ヤフー知恵袋から。
大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不悅、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」
大業三年(607年)、その王の多利思比孤が遣使を以て朝貢。使者が曰く「海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞き、故に遣わして朝拝させ、兼ねて沙門数十人を仏法の修学に来させた」。その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。
はたして、聖書の古文訳を試みた人の頭の中に、この聖徳太子の文章がぽっと浮かんだだろうか?
すごーく議論は飛躍するが。
旧約聖書の中身が書き終えられたのを紀元前1世紀として、
聖徳太子がこの手紙を書いたのが紀元7世紀。
彼はマラキ書の断片でも読んでいたりして。。。
こういうのを妄想というのだろう。
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