2013年6月30日日曜日

今年の李

 
いつもながら、ほぼ前触れなく送られてくる援助物資やらおすそ分け。
自分とこの畑から採ったものは、おすそ分けでないか??
 
久々に子どもらの食いつきがよく、ひとり頭3個ずつくらいペロリ。
到着1時間後くらいで、十数個から数個を残すばかりに。
 
昨日のいただきものは、嫁さんの実家から送られていたさくらんぼ。
山形の親戚からもらった佐藤錦を、我が家に文字通りおすそ分け。
いやーすばらしかった。
 
今年もくだものがおいしい季節になってきました。

2013年6月29日土曜日

More Diligent and Concerned at Home

この説教から2009年初めて読んだ当時、「家庭を主の業のために開放しなさい。それが子供を育てる最良の方法です。」という強烈な印象を受けた。 ただ、そのままはどこにも書いてなかった。。。

More Diligent and Concerned at Home

2013年6月28日金曜日

セクハラは男女お互い様

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFE1901Q_Z10C13A6WZ8000/?df=2

男性が一方的に加害者になる時代が過去にあったとしたら、
それは終わったと見た方がいい。
ということは、女性が「セクハラ」を水戸黄門の印籠のように懐から取り出して、
声高に叫べば、被害者の立場がはっきりする時代も終わったということ。

性別に関しても、考え方をはっきりさせるべき時、今はそこに至る過渡期なのかもしれない。

男女ともに、自分が外見や態度・行為を通して周りにどんな影響を与えているのか、
自覚することから始めることだろう。
そのために上のマトリクスが役に立つかもね。

白くない白鳥が見つかるようなもの

In a recent[2008] best-selling book, the author uses as his principal analogy the interesting fact that for centuries all Europeans believed that all swans were white. It wasn’t until the discovery of Australia that swans of a different color were discovered. The author uses this analogy to help explain events which have actually occurred but were not expected.

最近[2008年]ベストセラーになったある本の著者は,ヨーロッパでは何世紀もの間ハクチョウは白い色のものしかいないと信じられていたという興味深い事実を採り上げました。オーストラリア大陸が発見されたとき,異なる色のハクチョウが発見されました。著者はこの例を使い,予想だにしなかったことが実際に起こることを説明しました。
 
 
宗教を話題にすることはタブーとされることが多いし(対等に議論できない場合)、
真正面から「宗教変えませんか?」なんて来られたら、人の内面に土足で踏み込むようなものだとはっきり自覚しないといけない。

ただ、間違った言い伝えや環境に陥って苦しんでいる人や、
もう少しよい人間になりたいと考えもがいている人には、
基本的な考え方(paradigm)の転換を図るために、
はたと立ち止まって、自分の信条・信仰を見つめ直すことはとても大切で、効果的なことだろう。



2013年6月25日火曜日

"a great divine"; polarisation

Apostle Elder Neal A. Maxwell(1926-2004) teaches us of signs in the latter-days in this discourse.

“For I Will Lead You Along”

http://www.lds.org/general-conference/1988/04/for-i-will-lead-you-along?lang=eng

日本語でいうと、「二極分化」。
人、組織などなど身近で起きているのに気づきませんか?

2013年6月21日金曜日

幸せのカギはどんな形?

「人間の親でも自分の子供が 旅立つそのときには
困らぬように十分な知恵や 備えを持たせるのだから」
そういって鍵をくれたのは 神様なのかもしれない
旅立つ僕ら一人一人に きっと鍵を持たせてくれたんだ

鍵と鍵穴のように 幸せのかたちもそれぞれ違う
その鍵で開くたった一つの 箱を探せと教えてくれた

(槇原敬之「幸せの鍵を胸に」)



間違いなく以下の精神(原則)から出てきているものだろう。

あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
新約聖書(口語訳) マタイによる福音書 7章9~10節, モルモン書 第3ニーファイ14章9節も参照
9 Or what man is there of you, whom if his son ask abread, will he give him a stone?

10 Or if he ask a fish, will he give him a serpent?
(The Holy Bible(kj) Matthew7, also refer to Book of Mormon 14)

肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
新約聖書(新共同訳) へブル人への手紙 12章10~11節)
10 For they verily for a few days chastened us after their own pleasure; but he for our profit, that we might be partakers of his aholiness.

11 Now no chastening for the present seemeth to be joyous, but grievous: nevertheless afterward it yieldeth the apeaceable fruit of righteousness unto them which are bexercised thereby.
( The Holy Bible(kj) Hebrews chap12)

不安の中に手を突っ込んで 槇原敬之 (2010)





2013年6月19日水曜日

「いい問いをすること」

TBSラジオ たまむすびで、赤江さん、またもや話題選択の失敗か??
でも、個人的にはとても楽しかった。(6月17日オープニング)

白洲次郎の知り合いでもある小林秀雄の講義CDが発売されているようで、
その中で「学問とは」という内容の中に、「いい問いをすること」と云っておられるとのこと。

具体的にいうと、
「1+1=2」を覚えさせることが学問のすべてでなく、
むしろ、その式を導き出させるような問題を考えさせることや、
その式の理解を深めるような疑問を持って、教師に質問できるようになることが、
本来の学問なんだとのこと。

日本の教育は、知識の詰め込みで終始している。
学校教育の頂点である大学への入学試験がそういう形式で、
そこを目標にしているんだから、自然の帰結だ。

どちらかといえば、夏休みの宿題で出される「自由研究」や、
もう少し幅を広げて「読書感想文」なんかをもっと日常的に、
割合を高めて、教育の眼目に置けたら、
もっと人それぞれが考えられるようになるんじゃないかね。

ちなみに、ここで言われてるCDはこの中のどれかだと思うんだけど。

2013年6月12日水曜日

Viva Thailand!

これをタイ語で言えたら、かっこいいんだけど。

今日行った、東京 大手町で見かけたタイ料理屋。
頭いい!

相続はお金と心の問題

いま親が死んでも困らない相続の話 (ソフトバンク新書) 天野 隆 (2012/3/19)

この税理士さんは、相続はもちろんお金の問題が大きいけど、
それと同じくらい、関わる全ての人たちの気持ちをくみ取ることから始めるべき、
と指摘している。

2013年6月10日月曜日

デモクラシーの体現

白洲は「株主総会は年に一度、株主達の意見を聴くために開くものだ。役員が壇に上がって何をするんだ」と、すべて壇を取り払い、一般席と同じ高さにしつらえ直させた。アメリカなどでは司会は株主に向かって"Your company"というのだ、その精神で進行しなければ意味がないと主張する。・・・・・何しろ・・・事務所が・・・移転する際、・・・・・机はすべて出入口側に向けて配置させ、一番後列に課長の席を作らせ、以後仕事中は禁煙、女子社員がお茶を配ることは廃止、煙草を吸いたい者は喫煙室へ行き、お茶を飲みたい者は自分で用意するように徹底させた会長である。[部下]は「白洲さんに初めてデモクラシーというものを教えて貰った」という。風の男 白洲次郎 (新潮文庫) 青柳 恵介(2000/7/28)p.182 部分的に略しながら引用)
 
この人は実力とかっこよさを備えた人だ。
たぶん、実際に接しても、彼を理解できない人たちにとっては、変な人、ついていけない、という印象なんだろう。

この言葉は第二次大戦終了直後のものだ。
現在でも、ここまで民主主義を理解して、行動の規範にできている人がどれくらいいるだろうか。
しかも、在野で、民間の立場で貫いた。
 
 
 

そこまでして走る??

マラソンなのかジョギングなのか、走ることを趣味や生きがいにしている人がとても増えている。
身近なところでもそういう印象だし、
皇居の周りは時間帯によっては大渋滞、なんて話も耳にする。

そういえば、数日前に見かけた光景。
20代か30代の女性がしっかりとランニングウェアを着て、
住宅地を走っていた。もちろん、それは普通の光景。

ただ1つ違っていたのは、ベビーカーを押しながら!

こちらも自転車で多少急いでいたし、あちらも走り過ぎていっただけなので、
ちゃんと確認したワケではないけど、確かにベビーカーを押しながら走っていた!

そこまでして。。。いや、彼女は走らずにはいられない理由があったんだ!
そういうことにしておく。

2013年6月8日土曜日

家族で遊び倒す

家族みんなで「楽しかった」と言えるくらい、
遊び倒す日を昨日作れた。

正直、自分個人にとっては、100%行きたくないというか、行かなくてもよい場所だった。
でも、家族みんなが、特に嫁さんと娘の熱望して、資金を一定期間がんばって貯めていたので、
じゃあ行こう!ということになった。

朝6時に家を出て、8時半から夜9時過ぎまで、家に着いたのは10時半。
まさに遊び倒した。
下の子は言葉にできないながらも、「楽しかった?」と尋ねると、
コクッと首を何度もうなずかせていた。


理想としてはお金をあまり掛けず、当然時間は確保できなければいけないけど、
家族で遊び倒す時間を1年に何度か作れたらいいなと、誓うくらいの強い気持ちを感じた。

2013年6月7日金曜日

現実を売る商売は可能か?

私は現実を売る商売をしたいと思います。
とはいえ、現実は厳しく、目をそむけたくなりがちだから、やっぱり夢を売る商売でないと、現実には成り立たないのかしら??

2013年6月6日木曜日

”最古”の誇り

『7つの習慣』のコヴィー氏が、とても推しているように感じた、
エジプトの政治家ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート( محمد أنور السادات‎,  Muhammad Anwar al-Sādāt)。
とりあえず図書館で入手できた2冊をざーっと読んでみた。

いちばん感じたことは「エジプト人としての誇り」。
帝国主義から東西冷戦と時代が移りゆく中で、最も翻弄された地域の1つ、中東・アラブ世界
にあって、自身のアイデンティティに対する誇りは決して失わず、現実に対処していた。

手持ちの資料では、エジプトで統一国家ができたのが紀元前3100年。
間に、数えきれないくらい国家体制が変わり、宗教も移り、もちろん人も現れては消えながら、
それでも「エジプト」というアイデンティティと、そこから生まれる誇りは、
確かに1人の人の中に生き続けるんだなと感じた。

まさに一挙手一投足、何かことが起こると、即戦争。
戦闘機やらミサイルやらが平気で飛んでくる。
そんな状況下での政治家ってのはどんな神経しているのか、想像もつかない。

 
サダト暗殺―孤独な「ファラオ」の悲劇 (1983年) モハメド・ヘイカル (著), 佐藤 紀久夫 (翻訳)(映像見つからず)
 
 

2013年6月5日水曜日

戦争と工事は兵站(へいたん; logistics, commissariat)でするもの

とは、司馬遼太郎や塩野七生の本から学んだこと。

特に母親の立場からしたら、息子を戦争に行かせることは、
即ち息子を死地に行かせることだろう。
思考ではなく、母性という感情というか本能から出てくるもの。

でも、「○○帝国による世界の支配」のようなイデオロギー、危険な発想から引き起こされる戦争ではなく、政治の道具・外交の一手段から「力くらべ」として起こる戦争、
もっといえば、自衛のための戦いであれば、
「兵士をいかにして生き残らせるか」がいちばん大事な方向性になる。

それなら戦争などしなければいい、特に平時が長く続く社会では多くの人がそう考えがちだが、
いろいろなものにランキングをつけたり、優劣を競ったり、スポーツで勝ち負けをはっきりさせる、
その1つの形が、国同士であれば「戦争」だと言える。


話を元に戻すと、「兵士を生き残らせる」、他方では「兵士の士気を高める」、
異常事態なのは確かだから「やる気を失わせない」ために1番大事なことは、
兵站を維持することのようだ。

戦うための武器弾薬から始まって、いちばんの活力となり楽しみとなる食糧を、
途切れることなく用意すること、それが兵站という役割だ。
戦いがうまくいきすぎて、戦線が敵方に入り込みすぎると、
兵站が伸びきったり、途切れたりという事態が起こる。

目の前の一時的な戦果は得られるだろうが、
すぐに劣勢に転じたり、散々な状況になるだろう。


この項を何のために書こうと思ったのは、
実は仕事の現場にも「兵站」があることを言わんがためだ。

事務仕事ではそれほど目には見えないだろうが、
工事や建築の現場では日常的なことだ。
というより、「兵站」が整っていなければ、
つまり、資材が途切れることなく調達されること、
そのままでは使えない資材の加工が滞らずに行われること、
小さいことでは、10時と3時の飲み物の買い出し、
場合によっては昼メシの調達。
このあたりがうまく回っている現場と、そうでない現場では仕事の効率が違うことは明らかだ。

うまく回転させるために、出入口付近や作業場の整理や清掃なんかも大事になってくる。
雑然としていると、車が乗り入れられなかったり、スペースが確保できない。
なので、現場のおじさんたちは意外と掃除や片づけがてきぱき上手だったりもする。


会社経営の場合の、運転資金の調達も「兵站」かもしれない。
家に日々のものや貯蔵用の食糧があることも「兵站」かもしれない。
いずれにしても「兵站」という考え方は日常的に大事なのだ。
生きることは戦いなのだから。

2013年6月4日火曜日

what a beautiful morning!

When I was a student at Brigham Young University, I lived in a house with several young men. My roommate, Bruce, was the most optimistic person I have ever known. We never once heard him say anything negative about any person or any circumstance, and it was impossible not to feel buoyed up in his presence. His good cheer flowed from an abiding trust in the Savior and in His gospel.
One cold, wintry day, another friend of mine, Tom, was walking across the university campus. It was only 7:00 in the morning, and the campus was deserted and dark. Heavy snow was falling, with a brisk wind. “What miserable weather,” Tom thought. He walked farther, and out in the darkness and snow, he heard someone singing.
Sure enough, through the driving snow came our ever-optimistic friend, Bruce. With his arms outstretched to the sky, he was singing a number from the Broadway musical Oklahoma: “Oh, what a beautiful morning! Oh, what a beautiful day! I’ve got a beautiful feeling, everything’s going my way” (see Richard Rodgers and Oscar Hammerstein II, “Oh, What a Beautiful Mornin’” [1943]).
(2013 APR Beautiful Mornings

By Elder Bruce D. Porter
Of the Seventy)

わたしはブリガム・ヤング大学の学生だったとき,何人かの若い青年とともに一軒の家に住んでいました。ルームメートだったブルース以上の楽天家を,わたしは知りません。だれに対しても,どのような状況にあっても,否定的な言葉を彼から聞いたことがありませんでした。彼がいると必ず励ましを受けました。その元気は救い主と,主の福音の真理に対する信頼から生まれたものでした。
ある冬の寒い日,もう一人の友人であるトムが大学の構内を歩いていました。朝の7時で,構内には人けがなく,真っ暗でした。激しく雪が降り,その上冷たい風が吹きつけていました。「何とひどい天気だろう」とトムは思いました。暗闇と雪の中をさらに歩いて行くと,だれかの歌声が聞こえました。
想像したとおりに,ひどい吹雪の中から永遠の楽天家ブルースの姿が見えました。両手を空に向かって広げ,ブロードウェイ・ミュージカルの「オクラホマ」を歌っていました。「ああ,何て美しい朝なんだ ああ,何て素晴らしい日なんだろう 気分はすこぶる爽快だ 全てが僕の思いのままさ」(リチャード・ロジャーズとオスカー・ハマーステイン・2世,「美しい朝」〔1943年〕。
(2013年4月 美しい朝

ブルース・D・ポーター長老
七十人)

Here is the Broadway musical number which is introduced in that discource. Check it out!

2013年6月3日月曜日

職人とゼネコンと人足と

日本の社会は、職人の技術で回っているし、支えられている。
職人の勤勉さ・積み重ねてきた経験、そして確かな技術。
土木工事・建物の建築、いろいろな道具・機械・機器、世の中のモノや仕組みは、
その賜物だ。まったくすばらしいものだ。

では、その元請けであるゼネコンはどんな仕事をやっているのか?
現場でのその仕事を一言でいえば、「管理」。
よい方面からいえば、職人に仕事を割り当て、彼らが働きやすい場を整える。

しかし現実的に言えば、ゼネコンがやっている仕事は、
「行政の顔色を見て、法律から要求されている安全や衛生の基準を満たすように、
形を整えること」だけだ。
「形」とは形式だけとしか思えないような、書類と見た目を繕っている。
現場にとっては、仕事をしやすくしたり、工程が流れやすくしたり、
という効果には全くつながっていない。

下請の監督にもゼネコンと同じようなことが言える。
「管理」や職人を気分よく働かせることが、
何とヘタなことか。。。

そんな両者を、日雇い人足は与えられた仕事を粛々とこなしながら、
横目で見つつ、日本の「すごい!」という面と、
「ここはがんばらないと。。。」という面と、勝手に見つめています。

いやー25kgのセメント袋と32kgのタイル包みは重い。。。