2014年9月26日金曜日

本当とウソの混じり合い



ここのところ2週間ほど、うちの奥さんが「正直」について、

教会で行うレッスンのために準備をしている。

自然と夫婦の会話の一部になる。


つられて日々の聖典勉強でちょこっと調べていると旧約聖書の聖句にぶつかる。

Gen3:And the serpent said unto the woman, Ye shall not surely die:

 For God doth know that in the day ye eat thereof, then your eyes shall be opened, and ye shall be as gods, knowing good and evil.
3:4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。


モルモン書が、善に反する例として取り上げている。

2ne2:18  old serpent, who is the devil, who is the father of all lieswherefore he said: Partake of the forbidden fruit, and ye shall not die, but ye shall be as God,knowing good and evil.

あの​年とし​を​経へた​蛇へび​は、​エバ​に、『禁断きんだん​の​実み​を​食たべ​なさい。あなたがた​は​死しぬ​こと​が​なく、​善悪ぜんあく​を​知しって​神かみ​の​よう​に​なる​で​あろう』​と​言いった。


見事に本当とウソが混ざっている。


ただ聖書の日本語訳の方で1点。

"Ye shall not surely die"は「必ずしも死ぬことはないでしょう」だとおもうけど、

どうでしょう?

2014年9月25日木曜日

水を分けた

雲を見上げると、きっと誰しも一度は持つ疑問。
「これは何でできていて、なぜ空に浮いているの?」

これへの結構はっきりした答えが、聖書の中にある。
「空の下と上に水を分けた」という表現が、自分の中で妙にしっくりくるのだけど。
いかがですか?


6 ¶And God said, Let there be a firmament in the midst of the waters, and let it divide the waters from the waters.
7 And God made the firmament, and divided the waters which were under the firmament from the waters which were above the firmament: and it was so.
Genesis 1:6-7

1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 

2014年9月22日月曜日

寝起きのいきおいで書きます

(予め言っておくと、そこそこ長いですし、1日の始まりに読まない方がよいかもしれません。あしからず。)

ぐっすり眠ることができない。いろんな夢を見てしまうから、眠りが浅くなるのだと思っている。寝落ちして何も掛けずに寝てしまい寒くてなど、他の要因もあるけど。

友人や仕事関係・子供関係など知り合いや知らない人、いろんな人たちが登場してきて、それぞれにそれなりの刺激を与えていく。

それで今日の仮説。
「人は議論・口論や口げんかすることでストレスを減らし、心のバランスを取っているか?」
争いは悪だ、やってはいけない、意見がぶつかりそうになったらそうならないように避ける道を見つけて選びなさい、という価値観を意識的に無意識的に持ってきた。
その後、特にここ数年、同時者のお互いが建設的な思いと方向性を共有しているのであれば、納得のいく結論に達するまで大いに議論すべき、という考え方になってきた。
本当にごく最近、自分の子供たちを見たり、身近に精神疾患を患っている人がとても多くて、しかも彼らと積極的に関わってみたり、さらには今日見た夢から得たのは、
冷静に考えたら明かに自尊心を傷つけ合い、怒らせるようなことであっても、
人は言葉をぶつけ合い、お互いに切り合うことで、
場合によっては、自分の自尊心を守り、思いや感情をため込むのではなくて、
体外に発散して精神のバランスを保つという効果があるのではないか?

ただ、これを本能的に、無意識にだけやってしまうと、もっと大きな悪い結果をもたらすことも多い。だから、試すにしても、人や場面をそれこそ冷静に選ばないといけない。大人なら絶対にそう。
でも、うわべだけ小賢しく仲良く進めていきましょうという態度で話し合っても、
本質的な、本当に大切なことは何もはっきりしないし、決まらないということが往々にしてある。
だったら、人間同士ならこういう方法に訴えることも時にはありなのかもしれない。