2015年1月21日水曜日

宗教に報道の自由を適応するか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00000043-asahi-soci.view-000

先週からこれが世界的な問題になっている。
いや、ずっと問題だった。
正確には、ある出来事をきっかけに大きな問題になった。

特定の教会に毎週通い、その教えを日常的に取り入れている者としての私見。
基本的には、宗教は極めて個人的なもの。
個人の生活にかかわるもの。
個人の考え方や行動に影響を与えるもの。

人はどうしても公の部分を持たないといけない。
むしろ、できる限り公に積極的にかかわっていくべき。

でも、個人が関わる宗教に関して、
公からとやかく言われるべきものではないのだと考えている。
社会に害悪を与えたり、悪影響をもたらす場合を例外として。
分かりやすい例としてどうしてもすぐに浮かぶのは、地下鉄サリン事件。
そんなに大きなことでなくても、
宗教が要因で、個人の社会的なパフォーマンスを落とすようなことがある場合も、
個人とともに、その宗教の評判を落とすことはいたしかたない。

でもくどいようだけど、上の例外を除いて、公から宗教をとやかく言われる筋合いはない。
人が宗教を盾にとって、口実にして、戦争を起こしたり、
平気で人を傷つけたりする場合は例外には入らない。
その宗教が悪いのではないから。
その宗教を信じて、心穏やかに暮らしたいと望んでいる人たちが
最大の犠牲者になってしまう。

そこら辺の区別をはっきりさせず、ごちゃごちゃにして、
関係のない方を非難するのは公正ではない。

表題に対する結論。
今回のフランスの一連の事件に関しては、
非難されるべきは、無作為に騒動を起こして、人の命を奪った個人および団体、
それから宗教を元凶と勘違いしたマスコミ。
さらに、正しい判断をせずに、傷に塩を塗るように、風刺画を掲載してしまったマスコミ。
一般的に大本と目されてしまう宗教は、本当に気の毒だ。

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