杉並あたりのファーストフード店で、けっこう見かける風景は、
外国語を学ぶおじちゃん・おばちゃん。
英語が多いが、今日は韓国語だった。
その言語を母語とする先生を囲んで、まとまった時間占拠している。
そんな場での傾向。
1.日本語で説明を加えてくれるように求めている。発音やら文法やら考え方。
2.先生に日本語や日本文化を教えてようとしている。
彼らも若い人が多くて、留学生なんかもいるだろうから、むしろ学びたい気持ちもあるのかもしれないが、年かさを前面に発揮して、日本語で説明していたら、何の為の時間だか。
3.例えばといって、フレーズを使う機会を、色恋沙汰の場面にしている。50歳台以上の方々が、いろいろ苦労を終えて、余裕ができて、もう一度青春を楽しみたい気持ちの表れか??
単なる批判の記事になってしまいそうで、
しかも自分でまともに話せる異言語もないから、まったく説得力がないけど、
おそらく、あんなやり方ではいくらお金と時間をかけようと、
話せるようにはならないだろう。
それは、外国語を日本語で考えて学ぼうとしている。
別の言い方をすると、外国語をすべて、少なくとも1度は日本語に変換して聞いたり話そうとしているから。
人間が言語を使って、考えや気持ちを表現する、特に日常的な話のスピードをなめてる。
そう考えると、日本にいながら言語習得しようとして、
効果的だと思えるのは、
BERLITZ: 1つの表現を徹底的に反復して、覚えさせるやり方をしている。
GABA: これは未経験だけど、すべてのレッスンが外国人講師1人対日本人生徒1人らしいね。
あたりかな。他をあまり知らないけど。
あとは、旅行と言うより、ホームステイするくらいの気持ちで住んでみることが、
言葉を覚える最適な方法なんだろう。
とはいえ、言語はあくまで自分の考えや気持ちを表現する手段であって、
言語を覚えることが目的では決してない。
だから、日常会話レベルで得意・不得意なんてものは、
人付き合いが上手か下手か以外、存在しない。でしょ?
0 件のコメント:
コメントを投稿