2011年6月29日水曜日

権力と軍事力

皇帝セヴェルスが行った、軍事改革(軍団兵の待遇改善、甘やかし?)と、生まれ故郷の町を華麗な大都市に変えていった大工事を踏まえて。

これが、ローマ帝国の軍事政権化のはじまりになる。兵士たちがミリタリーでありつづけることに不満をもたなくなった結果、シビリアンになっての第二の人生を切り開く意欲の減退につながり、それが、ローマ社会での軍事関係者の隔離になっていったからだった。
・・・・・なにしろ、ローマ軍団は、土木工事から医療から種々の組織づくりまで、何でもやってのける集団である。そこで得た技能と経験を、シビリアンの世界でも活かせというのが、天才的武将でもあったカエサルの考えであった。そして、これは同時に、帝国の「核」の一つである「地方自治体」の、機能の向上につながるのである。
・・・・・軍事関係者の一般社会からの孤立ぐらい、彼ら自身のために良くないばかりか、社会全体までもゆがめてしまうこともない。なぜなら、孤立感はそれを感ずる者の間での結束につながるからであり、その行きつく先は、他とのバランスを忘れた暴走以外にはないからである。(『ローマ人の物語』文庫#31 pp.106~107)

矜持と言うのであろうか、そのような気持のもちように対する感覚が、鈍ってきたのである。・・・・・歴史家カシウス ディオのセヴェルス観が、登位直後を頂点にしてその後徐々に悪化していき、ついには非ローマ的な皇帝と断ずるまでになるのも、セヴェルスのこのような振舞いを近くで見たがゆえかと思われる。権力者であるのも、意外と不自由なことなのだ。だが、この不自由を甘受するからこそ、権力をもっていない人々が権力を託す気持ちになれるのであった。(同上p.126)



「俺の地盤である地域に、新幹線を通せ、橋を渡せ」、それができたことを成果として選挙の当選を繰り返す、どこかの国の政治家は、この文章を読んでどう考えるか??

「何を馬鹿な、当たり前のことだろう」などと一蹴するような人に、やっぱり政治家・統治者という権力を与えようとは、まったく思えない。


他方で、太平洋戦争に至った、戦前日本の軍隊の動きを暴走と評価する日本人からの声は多く、だから憲法9条は死守といった議論に陥りやすい。


政治権力と軍事力、もうちょっと慎重に取り扱うべきなんだろう。

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