がつーん、という感じで久々に釘付けになった聖句が。
「これまでに述べてきたことは、もしあなたがたにこれを行う意志があれば、すべて行えることである。」(モルモン書 アルマ33:23)
人が不完全であることは前提であるけど、
自分の行動の言い訳にしてはいけない。
ついでに、同じ節のその前の文章。
「神があなたがたのために、神の御子の喜びによって重荷を軽くしてくださるように」(同上)
その前で、さんざん主の贖いの働きについて語った挙句、
神がわたしたちの重荷を軽くしてくださる要因は、
主の苦しみではなく、「喜びによって」。
すべての毛孔から血を流すほどに(教義と聖約19:20)、
当時のローマ帝国では奴隷の死刑方法であった磔刑に処せられるほどに、
そんな苦しい思いは、その後に可能になる人の救いを願い、実際にそのために行使する権能によって、
主自身にとっても喜びになっているのか。
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