2008年3月19日水曜日

日本と中国の政治情勢を見て

不義な法令を制定する者と、自分の定めた圧制の法を書き記す者は災いである。
彼らは乏しい者を公平から遠ざけ、わたしの民の中の貧しい者から権利を奪い、やもめを食い物にし、父のいない子供から略奪する。
・・・・・自分の栄光をとこに残そうとするのか。
わたしがいなかったら、彼らは囚われた者の中にかがみ、殺された者の中に伏し倒れる。それでも主の怒りはやまず、主の手は伸ばされたままである。(モルモン書 ニーファイ第2書20:1-4)



因みに旧約聖書では⇒
わざわいなるかな、不義の判決を下す者、暴虐の宣告を書きしるす者。
彼らは乏しい者の訴えを引き受けず、わが民のうちの貧しい者の権利をはぎ、寡婦の資産を奪い、みなしごのものをかすめる。
・・・・・どこにあなたがたの富を残そうとするのか。
ただ捕われた者の中にかがみ、殺された者の中に伏し倒れるのみだ。それでも主の怒りはやまず、なおも、そのみ手を伸ばされる。 (イザヤ書10章1-4節)


日銀総裁選出のことも、チベット鎮圧(弾圧)のことも、
政治が何の利益ため、誰の幸せのためにあるのか、という根本的な問題だろう。
為政者が、自分や党の利益・権力だけを考えていれば、
力でねじ伏せようが、法律を変えようが、選挙を行おうが、現状の繰り返ししか起きない。

チベット関連⇒http://sankei.jp.msn.com/world/china/080317/chn0803171122007-n1.htm

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