2008年7月31日木曜日

和と同の違い -『晏氏』第四巻

付和雷同とは違うよ。

p364-366 
 晏嬰と[景公の側近筆頭だった]梁丘拠の仕えかたのちがいは、
 「和と同」
 という一言であらわされる。・・・・・          
「和をたとえれば、羹(あつもの)です。」
 羹は魚や肉のスープのことである。このスープは、もともとあいいれない火と水をもってつくる。味をつけて煮込むのであるが、味も熱さもととのったところで君主の口にはいる。 ・・・・・
 「ところが[同は]君がよしと仰せになれば、・・・おなじくよしとする。君がならぬと仰せになれば、・・・おなじくならぬとする。」・・・・・
 「愛に従って努力すれば、百の姓をもつ人民を使うことができる。強暴不忠であれば、一人さえ使うことができない。一心あれば、百君に仕えることができ、三心があっては一君にも仕えることはできぬ」

 全く異なるものが一緒になろうとするときに、掛け算になって予想以上に大きくなったり、化学反応をおこして違うものが生まれる。その結果は、時としてよい方にもそうでない方にもなる。
 よい方になったときに、「人間てこんなにすばらしい偉大なことができるんだ」となる。その逆は、振り子のように、その分逆に振れれる。

 以前の『香乱記』の田横といい、この晏氏親子といい、今の山東省あたりにあった斉という国はおもしろい。
 

2008年7月30日水曜日

「いつもありがと」

と、娘からだしぬけに月曜の夜言われた。一度きりだったので、一瞬耳を疑った。

奥さんもその日言われたらしい。やはり一度だけ。

どこから出た言葉かは不明だけど、何かしらの本心から出たのか??

親としては、そう信じたい。次はいつ言ってくれるかな? これも親バカネタか…。


2歳8ヶ月で、けっこうはっきり発音できる言葉が増えてきたな。

言葉の発達が早いか遅いかはぜんぜん気にしてない。

言葉でコミュニケーションが取れることは、やっぱり1つの喜び。

へらず口も多くなって来るんだろうけど、少なくても今はまーそれはそれでいいか。

2008年7月25日金曜日

『晏氏』第三巻

この本の中で、大きなテーマの1つとして、
「既得権益を当てにし、得よう維持しようとする老勢力と、
それに対抗する、自他共に実力で測って、事を成そうとする新興勢力」
というのがあると思われる。

もっと、俗っぽく簡潔に言えば、「デキの悪い上役と、頭の切れる部下」というところか。

伝統的な家柄の貴族は、自分の利益と権力・特権にしがみつく。
それが国をダメにしていく。
そんな状況を傍目に見て、それじゃダメだろうと見切りつつ、
自分なり考えや策を練り、行動に移していく、ぽっと出の貴族というか。

そこでこの場面。
宴の最中に、斉の荘公は晏嬰を呼び出す。それは紛れもなく嫌がらせの為。
彼が向かっている間に、楽人に「こういう歌を歌え」と含めておいて、到着すると聞かせた。

「  已めんかな 
   已めんかな 
   寡人説(よろこ)ぶこと能(あた)わざるなり
   爾(なんじ)何ぞ来るや                     
・・・大夫の席から去ったらどうか、と晏嬰に勧告しているわけである。君主は自身のことを寡人といい、荘公自身は晏嬰の存在を悦ぶことができないという。その晏嬰が、なにゆえここにきたのか。
・・・その歌が三唱された。」                         

その後いくらかのやりとりがあり、
「晏嬰は・・・突然、歌を歌いはじめた。                
  已めんかな
  已めんかな
  国人説(よろこ)ぶこと能(あた)わざるなり 
  爾(なんじ)何ぞ在るや                      
荘公に君主の席を去ったらどうかと勧める歌である。・・・
晏嬰は[周囲の]怒声をあびながらも、歌を三回歌った。」

現在の会社の内情に当てはめると、洒落にならないか。。。      

2008年7月23日水曜日

紙一重だな

八王子殺傷 母涙見せず気丈に
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080723k0000e040050000c.html

この無差別殺人ってヤツは、

もっと大きくいうと、人の生き死には、 本当に紙一重だなと思う。


やる方も、やられる方も。


今回のこの駅ビルも、福地山線の事故もそうだけど、

自分や自分の身近な人が関わっていてもおかしくない。

(秋葉原はまず行かないけど)


でも、1つ言えることは、

他人の命を奪っても、

自分の命を終わらせても、

思いつめた問題は何も解決しない。

決して心は晴れない。

それどころか、ますます暗闇にはまっていく。


気をつけます。
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2008年7月22日火曜日

『晏氏』 第二巻

P54晏嬰は…小さな口から大きな声を放った。「将軍はもともと君公にかわって蒙昧の民を正す者です。正すということは殺すということと同じではありません。正さずして殺せば、遺恨が生じます。…そうではなく、将軍は君公の徳を奉じ、君公の徳をもって蒙(くら)さを照らせば、おのずとその地は平らぎ、民は心服いたしましょう。真に征すということは、その字の通り、行って正すということです。どうして武が要りましょうか」  
  
 この10歳くらいだった息子の言葉によって、父晏弱の、将軍としての

莱に対する戦略・政策が決まった。

武力で抵抗してくる者には、武力で抑えるが、そうでなければ、戦後の

統治を軟着陸させ、民の安寧を計るという方向付けを行った。

 目的がどこにあるのかの違いだろう。ただ単に暴れて、うさばらしをしたい

のか、または、自分の力を周りに示して、さらなる権力や利権を得たいのか。

そうではなく、自分のためもだろうが、他人のためにも、安全や幸せを図りた

いのか。

 人の目に小さくみえようと、大きくみえようと、ここの違いなんだろう。

2008年7月20日日曜日

(前の)林家木久蔵

日曜夕方というば、「笑点」。特に落語にはまってからというもの、ほとんど毎週見ている。
たまに思うのは、大喜利に出ている人たちは、どんな落語をやっているのか??
この人たちは本当に高座に立っているのか??というところ。
笑点だけではどうもピンとこない。寄席に行ったこともないから、
こっちが勝手に知らないだけだけども。

だいぶ前に小遊三さん・歌丸さんはCDで聞いた。
両者ともそれぞれの味があって、聞きやすいし、おもしろかった。

最大のナゾだったのは、前の木久蔵さん。
笑点を見ているだけでは、ほんとうにくだらない!
というか、本当に噺家か?と疑いたくなるばかり。

ところが!一席やっている噺は、ちゃんと中身のあることをしゃべってて(?)、おもしろい!
笑点で、よくやる武将のモノマネは大したことないけど、噺の中の声色は活き活きしている。

そこで、さらなる疑問。
みんなは、こういうのをちゃんと知って、木久扇をおもしろいと思って、笑点を見ているのだろうか?

2008年7月16日水曜日

宮城谷 昌光 『晏子』第1巻 新潮文庫

宮城谷さん、はずれがない。
すべらんな~。

p390-1「事にあたって、知力というものが勇気をともない、さらに人がなるほどと感ずる情義にそって発揮されなければならないという点で、晏弱にまさる人を見たことがないということである。」
⇒知識や学歴をひけらかすのではなく、信念や決断力が必要ってことかな?

弱とは、日本人からすると、変な名前で。
「弱っちい子になってほしいのか?」と。
ところが、弱には「飾り物の弓」という意味もあるそうで。

2008年7月15日火曜日

WHO ARE YOU? HER DAD?

と言われたわたし。
world wide kidsという英語プログラムのワークショップで、
アメリカ人(たぶん)の女性教師から。

とっさのことで、笑顔でうなずくしかできなかった。

年の離れたアニキ?いや、違う!と彼女の頭の中で否定したのが、ありありだった。

初めて会う人や通り掛かりの人からも、こんな風に見られているのか?
と考えされられる出来事でした。
それより、知り合いからはどうか…。

そういえば、新婚旅行で行ったサンフランシスコ空港でも同じことあったな。
危うく入国審査通らなかくなりそうだった。
ありゃ絶対中坊に見られたな。
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2008年7月14日月曜日

groove! -------松本あすか(pf)

ライブモニターの抽選で当たったようで、

7月3日に松本あすかというピアニストのリサイタルに行ってきた。

その前に会社の飲み会があったため、抜けられず。。。

最後から2曲目の後半からしか聞けず、しかも開場に入ってナマで聞けたのは、

最後の「運命」だけ。残念。                                

 その「運命」は彼女の編曲で、初演だったそうで。

しょっぱなの第一楽章からswing?というか、ガーシュイン的なノリというか、

まーおもしろいことやっていた。                          

こういう子がパッと見クラシック リサイタルで出てこれる今時って、

いい時代だなと思う。ひと時代前なら、陽の目を見ることなく、

はじき出されていたんじゃなかろうか。

ともあれ、これから注目のピアニストでしょう。

http://directory.www.infoseek.co.jp/Talent/W08-1122?svx=s00002
⇒このページに張り付いている夕刊フジの記事はけっこうしっかり紹介している。

2008年7月10日木曜日

司馬遼太郎 『覇王の家』 新潮文庫

ひさびさの司馬遼さんでした。
徳川家康が、今川家の人質になる頃~小牧・長久手の戦を経て、秀吉と傘下に入るまで、そこから一気に飛んで、死ぬ間際という流れ。

家康は、独創性がない人だったようで、三河気質と、それから戦術や処世はすべて、誰かが過去にやった策の模倣だった、という指摘はけっこう衝撃的だった。
江戸時代の様相で、よきにつけ、あしきにつけ、前例主義だったり、排他主義だったりの要素がとても頷ける。

p165「家康がとらえている人間の課題は、人間というのは人間関係で成立している、ということであった。人間関係を人間からとりのぞけば、単に内臓と骨格をもった生理的存在であるにすぎないということを、この人質あがりの苦労人はよく知っていた。」
・・・・・・ ちょっと冷めた表現だけど、要するに、金八先生の「人という字は。。。」というヤツだね。
     人間関係さえよければ、ほとんどうまくいく、と日々実感します。

p371「体術を練磨するというのは要するに力学的な平衡感覚が鋭(と)ぎすまされということであろう。家康の政治感覚も軍事感覚も、かれの飛びきり鋭敏な平衡感覚から発していた。敵味方で構成される戦場の力学を、かれは体じゅうが天秤の支点になったようにして感ずることができた」
・・・・・・ 物事を判断するのに必要なのは、何事につけバランスのよさ

p500「古来、家康ほど言葉のすくなかった政治家もめずらしく、家康ほど以心伝心ふうのやりかたで行った男もすくない。[本多]平八郎がいうのに、『はじめはお肚がわからなくてこまったが、いろいろ考えてこれが最良と思うことをやってみると、べつになにもおっしゃらないので、そのようにしてきた。われわれ家来どもにすればかえってそのほうが、物事を考えるようになってよかったと、いまになってしまえばそう思う。』」
・・・・・・ 上に立つ人間は、これくらいの度量があって、思い切って委任するくらいがいいのかもしれない。

このコメント、おもしろい⇒ http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/haou.html

2008年7月8日火曜日

予備校のキャッチコピー

って、とても前向きなのが多いよね。

宣伝文句なんてのは、たいてい前向きなものだけど。

朝、駅の看板で見たのは

「どこまで行けるか、君は試すこともできるし、試さないでいることもできる」

現実的な要素も入っていて、これいいね。

夢を煽るだけじゃ、ちょっといかんね。

2008年7月2日水曜日

堺屋太一『団塊の世代』

これも気になっていた作家と本。
これが書かれたのは1976年(自分の生まれた年!?)。
その時点から80・ 90年代そして2000年を描く"予測小説"なんだそうで。
その当時ですでに、コンピュータ技術の発展で、統計なんかを駆使して、こういうのを書けるようになったんだらしい。(P6・7)

「与機待果」P42 何かを行う機会を得て、やれることはやって、結果が出てくるのを待つ。あるいは、他の人に委任して、良い結果もそうでないものも自分が責任を取る。薩摩の人たちが"大将"になった時に、この方法をうまく使うというの、『坂の上の雲』で読んだな。比べて、長州人が大将になると、自分でやろうとして、功名に走るらしい。

「〈どうして俺たちはみな、こうも会社に対して批判的なんだろうか〉…ここにいる十八人は、いずれも恵まれたコースを歩んでいる連中である。つまり、…最大の恩恵を企業から受けている人々なのだ。それがみな、不平不満ばかりを述べたてているのは、考えてみれば不思議なことであった。」P100
組織の中に入ると、とかくこういう気持ちや会話は起こりがち。
政治に対してもそう。スポーツに対してもそう。
とりあえず批判して、悪いところをあげつらえて、そのまま。それで満足している。
建設的に「ここをこういう風にしたらいい」という自分の意見を持てるようになるまで、口にしたらいけないような気がする。

実は、この本の前に、広瀬隆氏の『東京に原発を!』を読んだ。
今ある社会問題の多くは、解決できないまま20年とか30年、成り行きに任せてきたことを知って、
先延ばしは本当によくない、でもその状況の当事者でいる時に、特に切羽詰っていないときに、
問題を解決する、しようと動くことの難しさを思う。