2008年11月14日金曜日

遊ばなくなった若者たち??

こんな記事を読んだ。


08年版『レジャー白書』(社会経済生産性本部)によると、若い世代の余暇の過ご
し方が「貧困化」しているという結果が出ました。わかりやすく言うと、近頃の若者は遊ばなくなった、ということになります。

 調査は、全国の15歳以上の男女3,000人を対象に実施されました。07年の1年間に旅行、カラオケ、ドライブといった、計91種類の“遊び”に何回参加したかを聞き、10年前の調査結果と比較しています。

 まず、レジャーの「種類」の動向については、一人が1年間に経験した遊びの種類数は、この10年間で17.8種類から14.5種類に縮小しています。減少傾向は全世代でみられますが、特に10代~20代が顕著でした。10代に限定してみると、15.6種類で、10年前より6種類も減っています。

http://gr.e-hokenpro.com/rp/rp_money.asp?N=cnbcUzHexCA=&K=N&A=P&YYYY=2008&MM=11


なんだまた「近頃の若いもんはけしからん」理論か!?と思った。
そんなセリフを口にする人たちは、どれだけ遊び好きなんだ!?と。

遊びの種類で統計取るのは、初耳だ。
なんでもそうだけど、幅が狭まるというのを、
理性的にイヤな感じを受けてしまうのは確か。


働く時はおもいっきり働いて、
休む時はおもいっきり休む。
月並みだけど、心がけたいと思います。

2008年11月11日火曜日

井伏鱒二『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』新潮文庫

たぶん、ほとんど初めての井伏鱒二。

さざなみ軍記は、ぜんぜんイメージがつかめず挫折。

ジョン万次郎の方はとても興味深かった。
『竜馬がゆく』などで出てくるジョン万次郎は、
すでに幕府の役人になっていたから、
そこに行くまでのいきさつを知りたいなと思っていた。

彼の功績は、特に当時の鎖国状態にあった国と民にとって、
視野を広げさせる、あるいは目覚めさせるほどの衝撃を与えたことだろう。

日本で全く思いも寄らないものを紹介する苦労もその一つ。
12年の漂流・外国滞在の後、日本に帰ってくると、
役所(長崎奉行所)で取調べを受けた。
その中で口述観察談の一例。

「電信機」: 路頭に高く張金を引きこれあり、これに書状を懸け、駅より駅へおのづと達し飛脚を労し申さず候。なかにて行きあはぬやう往来の差別をつかまつり御座候。このからくりは私は存じ申さず候。鉄にて磁石をもつて吸ひ寄せ候やうに相考へ申し候

「蒸気車」:  陸の運送、車も馬も用ひ申し候。それ故、大道は山を越えぬやうに遠廻りにつくり御座候。レイロウと申す蒸気車これあり候ひて、数十人これに乗り、力を労せず旅行つかまつり候。蒸気船のからくりに同じと申すことにて御座候。…

これを読んだ日本人がどれほど現物を正確に想像できたか。
恐らくほとんど"?"だらけだったかもしれない。


これと似たような記述が、実は聖書の中に出てくる。
旧約聖書イザヤ書に、

その矢は鋭く、その弓はことごとく張り、その馬のひずめは火打石のように、その車の輪はつむじ風のように思われる。
そのほえることは、ししのように、若いししのようにほえ、うなって獲物を捕え、かすめ去っても救う者がない。 (第5章28-29節)


という記述がある。
「イスラエルの民」が集合する時を預言しているところで、
この部分が、集合のために使われる汽車であり、飛行機のことを、
イザヤは啓示の中で見て、描写していると聞いたことがある。
なにせ、もちろん当時は世の中になかったものであり、
どう言い表したらいいか、とても苦労したではないかとさえ感じられる。

どの部分がどうとか、ちょっとはっきりしない部分があることはあるが。。。

2008年11月9日日曜日

"あるがまま"でなく、"なり得る姿"

完全に孫引きだけど、ゲーテがこう言ったそうな。

「あるがままの人物として扱われる人は、あるがままの状態にとどまる。
しかし、将来なり得る人物や、本来あるべき人物として扱われる人は、そのような状態高められる。」


一般的に、人を見るときに、
その人の今の状態が全てで、この先もそのまま固定されているかのように、
判断されていることって多い気がする。
そんな時は、将来に向かって、良い方向でもそうでない方向でも変化していくことが、
全く視野に入ってない。
むしろ、人は同じ状態に留まることや、現状維持できることなんて稀なのに。

人の見方として、「今がこうだから、こんな感じであしらっておけばいい」ではなくて、
「今はこうだけど、将来こういう人になっていくだろう、またはこうなって欲しいから、
こういう風に付き合っていこう」てな感じで接する方が、
前向きだし、楽しいだろう。

参照:『モルモン書』ニーファイ第一書16章18~32節



2008年11月6日木曜日

1人の人の役割

明治になった後の、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允を見ていると、
なんかかわいそうになってしまう。

もう彼らの役割は、明治維新という名の革命を成し遂げたところで終わり。
人が為し得る仕事量を、その期間でやり切ってしまっただろうから。

1人の人の役割なんて、大抵は期限付きで、
大きなことであればあるほど、少なくても完了の時は、
見極めて区切りをつけてしまう。
そして、余暇と取らせたり、他の役割に移ったり、でいいんじゃないか。

逆に言うと、
永続させたいと思うものであれば、
始めた人がどれほど偉大であっても、
後継者が育たなければならない。

世襲やら、ポストの用意やらで、
いつまでもしがみついてたり、
ずっと同じ役割を果たすように、
周りが要求するするなんて社会の慣習は、やめにしよう!


歌舞伎は血で踊る、なんてことを聞いたことがあるけど、
そんな類は世の中ではまれで、
ずっとやっていること、世襲なんて、弊害の方が大きい。
なぜなら、状況は変化をやめないし、人もずっと同じ状態ではいられない。
偉大な人が子々孫々、同じ家から出てくることは、むしろあり得ないなんだから。

山県有朋的な人間

司馬遼太郎『翔ぶが如く』に手をつけてしまった。
今は第2巻。
進むのが遅い。
1項目ごとに、読んでは考えてしまう。

37~39頁
「山県は創造的才能はなく、従って構想者ではなかった。原型が創造してくれたものを、かれはもくもくと実行して、ついには仕上げてしまうのである。」

大村益次郎の、国民国家成立のための国民皆兵と廃藩置県を実現させたが、「開明的な光彩」は消し去ってしまった。

大久保利通の創設した内務省を引き継いで、貴族制度をつくって「一君万民」という平等思想を覆し、反政府的言論や集会を禁止できる権限を産み出した。

川路利良が創始者だった警察を、市民サーヴィスの機関から「国家の威権の執行機関」に切りかえた。

「山県ほど天皇の権威的装飾に熱中した男はなく、日本史上における天皇のたたずまいが、明治二十年代から異様な重厚さを加えてゆくのは山県ひとりの創作に負うところが多い。・・・・・[この]点だけは創造的であるかもしれなかった。」

「『国家を護らなければならない』
と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために、天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した。」


問題は、この手の人間に対して、
歯止めをかけられる人がその場にいないこと。
または、すごく少ないことだ。

とても大きな流れができているために、
ちょっとやそっとでは食い止めたり、方向転換をさせられない。