2008年11月6日木曜日

山県有朋的な人間

司馬遼太郎『翔ぶが如く』に手をつけてしまった。
今は第2巻。
進むのが遅い。
1項目ごとに、読んでは考えてしまう。

37~39頁
「山県は創造的才能はなく、従って構想者ではなかった。原型が創造してくれたものを、かれはもくもくと実行して、ついには仕上げてしまうのである。」

大村益次郎の、国民国家成立のための国民皆兵と廃藩置県を実現させたが、「開明的な光彩」は消し去ってしまった。

大久保利通の創設した内務省を引き継いで、貴族制度をつくって「一君万民」という平等思想を覆し、反政府的言論や集会を禁止できる権限を産み出した。

川路利良が創始者だった警察を、市民サーヴィスの機関から「国家の威権の執行機関」に切りかえた。

「山県ほど天皇の権威的装飾に熱中した男はなく、日本史上における天皇のたたずまいが、明治二十年代から異様な重厚さを加えてゆくのは山県ひとりの創作に負うところが多い。・・・・・[この]点だけは創造的であるかもしれなかった。」

「『国家を護らなければならない』
と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために、天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した。」


問題は、この手の人間に対して、
歯止めをかけられる人がその場にいないこと。
または、すごく少ないことだ。

とても大きな流れができているために、
ちょっとやそっとでは食い止めたり、方向転換をさせられない。

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