2009年12月29日火曜日

日本人の儒教ベース

写真は、御茶ノ水駅 聖橋口から徒歩5分の「湯島聖堂」。
色としては黒が基調で、なかなか落ち着いた雰囲気の一角になっている。
祭祀は孔子。徳川政権が、なぜか強力に広めていった朱子学。家康以下つながる為政者たちは、大義名分論が欲しかったんだろうけど、「なぜ朱子学だったの?」と。
現在の憲法9条擁護論とつながるように思うけど、平和を維持するために、表立ってはなだめすかすだけで、何もしない平和が欲しかったんだろうか?同時代に興った陽明学は、大塩平八郎の乱に見られるように直接行動の後押しになる可能性から、本流から排除していく。かなり飛躍するが、この300年続いた施政の影響がモロに現代にも顕れていて、思いきったことがしにくい、受け入れられにくい社会になっているような気がする。
欧米の国々には「クリスチャンベース」がある、という言い回しをするが、日本人には儒教ベースが結構根強くある。でも、多くの日本人は自分の宗教を「仏教です」と言う。ここが複雑なところ。本来は、仏教も儒教も宗教にしてはいけないものだった。学問のいち分野に留めるべきだった。思い付いたことをつらつら書いてしまったが、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。




0 件のコメント: