2010年10月30日土曜日

「だが、これは前進である」



「失ったものは大きく
得たものはない
だが、これは前進である

過去を無きものにすることは誰にもできはしない
この戦争の上に立ち!!!

生きてみせよ!!!!」


アラバスタ編を読み返してしまった。
人は動かないといけないこと、命を懸けて生き抜くのが大切なこと。
そして、人が寄り頼む国のあり方を学ぶねぇ~。


「"反乱軍"にこの宮殿を落とされるから何だというのだ・・・!!!

言ったはずだぞ
国とは"人"なのだと!!!」



ONE PIECEが古本屋で軒並み特別扱いになってる。
ここにきて、また波が起きているようだ。
電車でも単行本を読んでいる人が多くなっているような。

2010年10月28日木曜日

足踏み

司馬遼太郎さん『菜の花の沖』に取り組み中なんだけど。
5巻で足踏み中。とにかく進まない、気持ちが乗ってこない。
なんであんなにロシアの航海史に紙面を割くの??ほとんど1巻分も。
嘉兵衛のその後が知りたいのに。
連載引っ張ってたのかなぁ??などと勘繰ってしまう。
自分の読む力のなさがいちばんの原因なんですけど…。

2010年10月26日火曜日

rock 'n' rollの気分

ROCKを耳にしたくなるのは、
ストレス・鬱憤・いたらなさを痛感すること・・・・・などなど、
動いたら動いただけ、何かしら積もっていくものがあるからなんだろう。
下水管が長年使われれば、流れているからいいようなものの、
なぜかカスがたまっていくように。

聞くだけでは物足りなくなると、
体をビートに合わせたくなり、
声にならない声を発したくなる。

それで積もり積もったものが発散され、
次に当たっていく体勢を作れれば、いいことなのだはないか。
(別にだれにダメと言われたワケでもないが)




ちなみにoriginal⇒

神田明神

落語で話に出てくる、江戸の三社祭。その1つ、神田明神を見つけた。
湯島聖堂の裏っ手。やっぱりこの辺は元々街の中心近く、いろんなものがぎゅっと詰まってる。
氏子が裕福だからか、かなりきらびやかな感じで。

2010年10月22日金曜日

土の上を歩く喜び

東京 新木場近くにある夢の島公園。
アスファルトより土の上を歩く方が、足への衝撃が柔らかいことを実感する。都会のコンクリートジャングルめぇ。とはいえ、土道はいざ雨降りの日は相当難儀する。


2010年10月20日水曜日

このオルガンはすごい!

パイプオルガンてベルの音も出せるんだ~。

いや、この人すごい。
この規模のオルガンもそうそうあるものじゃないけど、
楽器はあくまで箱だから、
使いこなせる人がいなかったらどうしようもない。

あいだにケータイ電話CMでおなじみの部分もあるし。
日本人をねらったか???
いや、ないね。

link to facebook / twitter

ブログの更新がおろそかに。。。

ここで更新したらfacebookやtwitterにリンクできたらいいなとかねがね思ってて、
sorariumというサイトがいいのを教えてくれた。
dlvr.it」というもの。

これを早速貼り付けてみたら、
ある意味調子よすぎて。。。
更新する気合いが削がれてしまったような。
いやいや。

ちょっとしたコツというか、
タイトルとリンクだけが載ってくるから(設定が間違っているか???)、
タイトルを工夫しないといけない。

2010年10月17日日曜日

満点☆青空レストラン

続いて、食の話題。

放送日は毎週土曜の午後6時半からだけど、
録画したものを今日も見てしまった。

「なんでも鑑定団」と並んで、
とても楽しみにする番組になってしまった「満点☆青空レストラン」

4チャンにしてはわざとらしくなく、
料理番組というか、素材を紹介する番組なので、
味の予想がつかないフランス料理的な要素もなく、
自然の、旬のものがよくわかる感じの番組。
今回は丹波の栗と松茸。
栗コロッケ、すばらしかった。



☆がついている通りサッポロビール提供なので、
結局はビールに合うかどうか、
最後はビールでしめるという流れだけど、
とても落ち着いて楽しめるTV番組です。

2010年10月15日金曜日

立ち食いそばの限界

昨日の昼メシの話ですが。
立ち食いで、かきあげそばだった。
かきあげはとてもおいしかった。

問題はそばとつゆ。
コシのなさ。
ダシがきいてないこと。

立ち食いそばはこの辺が限界か??


同じ立ち食いでも、うどんは新橋駅前なんかに納得できる店がある。


それにしても、立ち食いでうどんとそばを両方出している店で、
コシのある麺とダシのきいたつゆを出してくれるところはないものか?

天下の益

 ・・・・・松右衛門旦那はかねがね「人として天下の益ならん事は計らず、碌々(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣にもおとるべし」と口癖のようにいってきた。ただし、かれのいう天下とは、公共ということであり、さらにかれのいう「益ならん事」とは、工夫と発明のことをさしている。
『菜の花の沖』<四>207頁

公益の反対は私益。
私益、つまり自分のことばかり考える人生は、きっとつまらなくなるだろう。
それこそ碌な死に方しないだろう。

自分の身の回りと足元をしっかりしつつ、
自分以外の人のために1つでも多くのことができたらいいな。
具体的に、必要とされることを。

まじりけなしの悪

「悪」
というものが、芝居の上ではまじりっけなしのものとして存在するが、浮世にはそういう種類のものはすくないと嘉兵衛はおもっている。しかし蝦夷びとの場から見た松前権力というものは、この世で珍奇なほどに純粋な悪であった。


『菜の花の沖』<四>10頁


数百年に渡って今の北海道を領地としてきた松前氏(その前の名は蠣崎氏)は、
原住民であったアイヌの人たちを奴隷の如くに酷使していたようだ。
自分たち以外の和人に接することをさせない。
彼らの狩猟の成果をほとんどタダ同然で巻き上げる。
狩りの道具を改良させない。
つまり人間でなく、家畜同然の扱い。

こういうのを「まじりけなしの悪」と呼んでも差し支えないだろう。


でも、現実的にはこの手のものはそうそうない。
つまり「勧善懲悪」ですっきり、なんてことは現実にはほとんどないということ。
自分が正義だ!あいつは悪だ!なんてスパン割り切れることはあり得ない。

現実をちゃんと見て、「正しい」判断をしたいものだ。

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2010年10月12日火曜日

なんだぁ?

電車で今目の前にいる、母親にだっこされている、生後5〜6ヶ月くらいの男の子。
こちらの顔をしばらく見つめていたから、負けずに見つめ返していたら、おもむろにひと言。
「なんだぁ?」そういう風に聞こえたんだよね…。

2010年10月11日月曜日

藤野周辺

この連休、結構中身の濃い、収穫の多い3日間だった。

とりあえず、今日は幼稚園の運動会。
本当は土曜だったけど、天候のために2日ズレで。
幼稚園の友達もパパママもとてよい人たちが多くて、楽しかった。
リレーで走ったときは、第二コーナー回った後の直線で筋肉が爆発しそうだった。。。


で、その雨の土曜は、会社の同僚が教えてくれた「藤野芸術の家」へ。
娘と一緒に作ったのは、木のおもちゃ ぱちんこ。

もちろんキットがあるので、絵を描いて、ニス塗って、木工ボンドで組み立てて、釘を打ち付ける。
工具・絵の具・新聞紙などは、キット込みの料金800円に入ってる。
この辺が県立の良さか??

帰りは、その近くにあったCafé Restaurant Shuで、ビーフシチューセットでランチ。
食事はこれと半額のお子様シチューの2品のみ。潔し。
こちらもとてもよい空間で。真空管アンプのスピーカーと、ちょっと低めの、無垢木製家具。
ライブもあるようで、ぜひ行きたい!

藤野ってこういう空間を街ぐるみで作ろうとしてるのかね。

2010年10月8日金曜日

幸せの理由

facebookで友達が好きな言葉に挙げていた。

"Wouldn't you rather be happy for no reasons than unhappy for good reasons? "

日本語にあえてすると、

ワケもわからず幸せでいるより、ちゃんと理由があってつらい方がいいじゃない?

という感じかな。


幸せと感じる理由をはっきりさせておきたい。
つらいと感じる状況が、その先にどんな成長につながるのか考えながら進みたい。

2010年10月7日木曜日


紅葉 山に彩り 富山・立山連峰で見ごろに

いや~見事だ。
赤が濃いねぇ。

今年は夏から冬に一足飛びかもなんていわれてたけど、
よかった、秋があって。

ティッシュ配りをしていた人々

さっき大久保駅でティッシュ配りをしていた。
至って普通の光景。ではなかった。配っていた人々が。
配っていたのは、警視庁の人々。
彼らだって警官になってティッシュ配りをするとは思ってなかっただろう。
要らなかったので、反射的に右手をかざして、素通り。ポケットティッシュの袋に挟み込んで、何を伝えたいのか??
というか、あのティッシュだって税金で仕入れたモノ。
日本の国家権力っていったい何なんだ?

2010年10月6日水曜日

いじめの起源

 [江戸]時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。
 上の者が新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。
 江戸期には、武士の社会では幕臣・藩士を問わず、同役仲間であらたに家督を継いで若い者がその役についた場合、古い者が痛烈にいじめつくすわけで、いじめ方に伝統の型があった。この点、お店の者や職人の世界から、あるいは牢屋の中にいたるまですこしも変わりがない。日本の精神文化のなかでもっとも重要なものの一つかもしれない。


司馬遼太郎『菜の花の沖』<二>237頁より


いじめの起源が、江戸時代らしい。
そこから今に至って、自殺を引き起こす要因になったりしている。

宮城谷さんの本なんかで、いじめの場面があったような気もするけど、
日本人の深層心理というか、無意識な感覚の中にあって、
いじめる対象を求めてる人が多いのかもしれない。

でもやっぱりそれは違うだろうと思い直して、
いじめを失くそうとする人も出てくる。
主人公の嘉兵衛のように。


いじめといえば、松本人志さんの指摘。


自殺は絶対ダメ!!!!!





2010年10月1日金曜日

人が喜ぶとき

 ・・・・・長崎の町人にとって唐船やオランダ船は宝船っであり、とくにオランダ船が入ると、何万、何十万両という財貨がうごき、商家がうるおい、浦方の賃仕事がふえ、職人までがいそがしくなるのである。・・・・・
 ・・・・・
 ともかくも、ただ1隻のオランダが入津(にゅうしん)するというだけで、長崎の町方も浦方も在所もくるったようによろこんでいる。このような人間現象というのはどういうことなのか。
 たとえば宗教でもこれほどひとびとがよろこぶかどうか。
 宗教で人間が群がる場合、どこか気狂いのくらさもありうる。粘土の顔に、指をあてて両眼の部分を押してくぼませたように、目がただの暗い穴になっている場合もないではない。



司馬遼太郎『菜の花の沖』に取り掛かった。
司馬さんの文庫された長編は、あと『功名が辻』だけか?というところまできた。

それはともかく、上の引用は第2巻62~66頁。

何に対して、どんな理由で、というのはさておき、
人が心から喜ぶ場面て、心からの笑顔があったり、心の高鳴りが雰囲気ににじみ出て、
体全体が震えてるのがわかったり。
その気持ちがずっと記憶や感覚の中に残って、
ふとしたときに鮮明に蘇ってくるような、
(思い出し笑いになったら気持悪いかもしれないが)
そんな喜びは1つでも多い方が、
というか、1つでもそんな喜びを多く得ることが、
人が生きる目的の大事な1つなんだろう。

「・・・・・あなたがた​は​これから​も​キリスト​を​確固​と​して​信じ、完全​な希望​の​輝き​を​持ち、神と​すべて​の​人​を愛して​力強く進まなければ​ならない。そして、キリスト​の​言葉​を​よく​味わい​ながら​力強く​進み、最後​まで堪え忍ぶ​なら​ば、見よ、御父​は、「あなたがた​は​永遠​の​命​を​受ける・・・・・」(モルモン書 ニーファイ第二書31章20節)

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