2010年10月1日金曜日

人が喜ぶとき

 ・・・・・長崎の町人にとって唐船やオランダ船は宝船っであり、とくにオランダ船が入ると、何万、何十万両という財貨がうごき、商家がうるおい、浦方の賃仕事がふえ、職人までがいそがしくなるのである。・・・・・
 ・・・・・
 ともかくも、ただ1隻のオランダが入津(にゅうしん)するというだけで、長崎の町方も浦方も在所もくるったようによろこんでいる。このような人間現象というのはどういうことなのか。
 たとえば宗教でもこれほどひとびとがよろこぶかどうか。
 宗教で人間が群がる場合、どこか気狂いのくらさもありうる。粘土の顔に、指をあてて両眼の部分を押してくぼませたように、目がただの暗い穴になっている場合もないではない。



司馬遼太郎『菜の花の沖』に取り掛かった。
司馬さんの文庫された長編は、あと『功名が辻』だけか?というところまできた。

それはともかく、上の引用は第2巻62~66頁。

何に対して、どんな理由で、というのはさておき、
人が心から喜ぶ場面て、心からの笑顔があったり、心の高鳴りが雰囲気ににじみ出て、
体全体が震えてるのがわかったり。
その気持ちがずっと記憶や感覚の中に残って、
ふとしたときに鮮明に蘇ってくるような、
(思い出し笑いになったら気持悪いかもしれないが)
そんな喜びは1つでも多い方が、
というか、1つでもそんな喜びを多く得ることが、
人が生きる目的の大事な1つなんだろう。

「・・・・・あなたがた​は​これから​も​キリスト​を​確固​と​して​信じ、完全​な希望​の​輝き​を​持ち、神と​すべて​の​人​を愛して​力強く進まなければ​ならない。そして、キリスト​の​言葉​を​よく​味わい​ながら​力強く​進み、最後​まで堪え忍ぶ​なら​ば、見よ、御父​は、「あなたがた​は​永遠​の​命​を​受ける・・・・・」(モルモン書 ニーファイ第二書31章20節)

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