とは、司馬遼太郎や塩野七生の本から学んだこと。
特に母親の立場からしたら、息子を戦争に行かせることは、
即ち息子を死地に行かせることだろう。
思考ではなく、母性という感情というか本能から出てくるもの。
でも、「○○帝国による世界の支配」のようなイデオロギー、危険な発想から引き起こされる戦争ではなく、政治の道具・外交の一手段から「力くらべ」として起こる戦争、
もっといえば、自衛のための戦いであれば、
「兵士をいかにして生き残らせるか」がいちばん大事な方向性になる。
それなら戦争などしなければいい、特に平時が長く続く社会では多くの人がそう考えがちだが、
いろいろなものにランキングをつけたり、優劣を競ったり、スポーツで勝ち負けをはっきりさせる、
その1つの形が、国同士であれば「戦争」だと言える。
話を元に戻すと、「兵士を生き残らせる」、他方では「兵士の士気を高める」、
異常事態なのは確かだから「やる気を失わせない」ために1番大事なことは、
兵站を維持することのようだ。
戦うための武器弾薬から始まって、いちばんの活力となり楽しみとなる食糧を、
途切れることなく用意すること、それが兵站という役割だ。
戦いがうまくいきすぎて、戦線が敵方に入り込みすぎると、
兵站が伸びきったり、途切れたりという事態が起こる。
目の前の一時的な戦果は得られるだろうが、
すぐに劣勢に転じたり、散々な状況になるだろう。
この項を何のために書こうと思ったのは、
実は仕事の現場にも「兵站」があることを言わんがためだ。
事務仕事ではそれほど目には見えないだろうが、
工事や建築の現場では日常的なことだ。
というより、「兵站」が整っていなければ、
つまり、資材が途切れることなく調達されること、
そのままでは使えない資材の加工が滞らずに行われること、
小さいことでは、10時と3時の飲み物の買い出し、
場合によっては昼メシの調達。
このあたりがうまく回っている現場と、そうでない現場では仕事の効率が違うことは明らかだ。
うまく回転させるために、出入口付近や作業場の整理や清掃なんかも大事になってくる。
雑然としていると、車が乗り入れられなかったり、スペースが確保できない。
なので、現場のおじさんたちは意外と掃除や片づけがてきぱき上手だったりもする。
会社経営の場合の、運転資金の調達も「兵站」かもしれない。
家に日々のものや貯蔵用の食糧があることも「兵站」かもしれない。
いずれにしても「兵站」という考え方は日常的に大事なのだ。
生きることは戦いなのだから。