2014年5月6日火曜日

ユダへの思い





”イスカリオテの方の”。

まわりくどいのは承知の上で、まず前提条件。
1.「わたしたちは相手がユダであれそのほかだれであれ、人を裁くために任命された裁判官ではない。しかし、だれであれその人の行いにつき、いろいろ意見を組み立てて持つことは許される。
We are not the invested judges of Judas nor of any other; but we are competent to frame and hold opinions as to the actions of any.」(James E. Talmage "Jesus the Christ", 日本語p.631, 英語p.650)

2.「わたしたち​は、​正確せいかく​に​翻ほん訳やく​されて​いる​かぎり、『​聖せい書しょ』​は​​神かみ​の​言こと葉ば​で​ある​と​信しんじる。
We believe the Bible to be the word of God as far as it istranslated correctly;」(『末日イエス・キリスト教会の信仰箇条』8節)

3. 「『​聖せい書しょ​か。我々われわれ​は​すでに​聖せい書しょ​を​持もって​いる。だから、ほか​に​聖せい書しょ​は​必ひつ要よう​ない』​と​言いう​者もの​よ、あなたがた​は​愚おろか​者もの​で​ある。
・・・・・
それゆえ、聖せい書しょ​を​持もって​いる​から​と​いって、わたし​の​​言こと葉ば​が​すべて​そこ​に​含ふくまれて​いる​と​思おもって​は​ならない。また、わたし​が​もっと​大切たいせつ​な​こと​を​書かき​記しるさせなかった​と​思おもって​も​ならない。
Thou fool, that shall say: A Bible, we have got a Bible, and weneed no more Bible. 
・・・・・
Wherefore, because that ye have a Bible ye need not supposethat it contains all my words; neither need ye suppose that Ihave not caused more to be written.
(『モルモン書』ニーファイ第二書 第29章6・10節)


新約聖書から理解される事実として、彼は財布を預かる出納担当で、使徒に聖任されたことがあり、その時にはその聖任に値するだけのふさわしさを示していたのだろうということ。

ユダ側からの言い分というか、彼自身もイエスのそばにいて恐らく学んだだろう多くのことも、
われわれは学ぶべきだろう。

・聖書では述べられていない、あまたいるだろう天使と彼らの果たした、宇宙を形作る役割
・同じく聖書で詳しく載っていない、アダムとエバの第三子セツについて
・よく笑うイエスの姿。特に深刻に考えすぎている弟子たちを笑い飛ばしている。
キリスト​教きょう会かい​の​

信しん 仰こう 箇条かじょう​

末まつ 日じつ​聖せい徒と​イエス・​キリスト​教きょう会かい​の​信しん 仰こう 箇条かじょう​

0 件のコメント: