『翔ぶが如く』6巻より
西南の役を誘発した役割の、神風連の乱。
イデオロギー側から見れば、政府の西洋かぶれに反対した極右の暴発、
としか写らない。
でも、やはりというか、元々の考え・行動から見たら、
つまり、教祖というべき林桜園の考えからみれば、
視野が狭く成り過ぎた結果と思わざるを得ない。
その理由とすると、「本と末の区別を知らなければならない」という考え方。
彼にとって「本」は神道であり、
それを確かに守ってさえ入れば、
「末」たるその他のすべてのもの、すなはち政治だろうが、西洋の学問だろうが、
何をしようと問題ではない、と教えたらしい。
「五大洲は広し。教道何ぞ独り儒教に限るべけんや」
当時学問といえば、儒教。しかし、なぜ儒教に固執しないといけないのか???
為政者が面倒くさくならないためのご都合、でしかない。
神風連の人たちは、明治政府の、文字通り本末顛倒を怒って、
反乱に打って出たらしい。
そういう点では意味があったと思うが、
ただ、このイデオロギーという型を当てはめることでしか、モノを見れない近現代では、
右翼の元祖と見られるばかり。かわいそう。。。
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