日本にもこの波が来てしまったと。
旧約聖書 出エジプト記 / 20章 7節 | |
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。 Thou shalt not take the name of the Lord thy God in vain; for the Lord will not hold him guiltless that taketh his name in vain. よもや日本で「神の名がみだりに唱えらえる」ことはないだろうと思っていた。 代表的な英語の表現は" Oh, my ○○○!"というヤツだ。単に「言いやすい英語」として、驚いた場面などでちゃかして使うくらいのものだったはずだ。 英語をそれほど知らない日本人が、欧米人は普通に使っているものだと誤解して、おもしろがって使っているだけだった。 ちなみに、その表現を敬虔なクリスチャン、つまりキリストの教えを喜んで守ろうとしている、例えばアメリカ人は決して使わない。冒頭に引用したモーゼの十戒の1つに書かれているからだ。 今の日本で起きていることはこの範囲で収まらない。 この数年「あれ言うようになってきたな」とは気づいていたのだが、 ここまでひどいのかと思わず、ブログに載せるのを思い立った。 まずこの現象を見かけたのは、ここ数年行われている、政治に全く関係ない「総選挙」と、それに関わる多数の女の子たち、そしてその取り巻きの間でだ。 「○○対応」「○○セブン」だのという言い方が、聞きたくもないのに耳に入ってくる。それほどマスコミが取り上げている。 最初に書いた、昨日のTV番組では、この言い方が「普通に」つまり日常的に10代の若者たちの間で使われているらしい。 「オニ」といういうのと同列で、気持ちを強調するだけのために使われているというのだ。 それを「へぇ~そんな風に若者ことばはなっているんだ」をぽかんと口を開けてうなづく大人たち。そんな構図を喜んで視聴者は見ているのか? この現象は、私の信じていることに基づく勝手な感情かもしれないが、 霊にとっては波、それも東日本大震災で被災地が経験したような大津波になりかねないと思えてならない。 神聖なものを軽んじて馬鹿にする時に、ここから人間性が衰退し壊れていく。 日本の若者たちが使っている「神」が、キリストの教えでいうところの"GOD"とは違う、と言われるだろう。 もちろん違うが、共通点はある。「神聖なものを大切にする」人の気持ちだ。 神聖と感じるかどうかも、結局は人それぞれだが、 日本語では文字通り「神」とそれに関わるものが「神聖」ということになる。 自分の子どもたちのことを考えると、親と同じ信仰を持つかどうかに関わらず、「神聖なもの」を何かに感じて、他の人が「神聖だと感じるもの」が確かにあることを認識して、それを大切にする人になってほしいと願う。 |
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